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西区楠町と中区白島・基町地区を結び本川に架かる「三篠橋」です。
※三篠橋下流橋は1972(昭和47)年、三篠橋上流橋は1978(昭和53)年に竣功しています。 |
本川に架かる現在の三篠橋は、単純合成鋼板桁橋として上流橋、下流橋として独立した2本の橋で構成されている事を遊覧船からみあげて(その時になって、わたしは)知ったのです。 |
竣工プレート(のひとつを)によると広島県一等橋として1972(昭和47)年7月竣工となっています。
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この広島市の資料で、三篠橋(下流橋)の概要がわかりました。
橋長:178.6m。幅員12.756m。架設:1972(昭和47)年 |
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広島の橋(陸橋なども含めて)の経年劣化でコンクリート片の落下の報道をしばしば見聞きしていた中で、2013年10月この三篠橋についても報道がありました。
広島市の資料が公開され
『2013(平成25)年10月14日市民から三篠橋のコンクリート片が落下しているとメールがあり、10月15日(火)広島市職員が落下しているコンクリート片を確認しました。』とありますが、この三篠橋は、鋼板桁橋であるのでコンクリート片?とわたしは思いました。
『コンクリートが剥落した箇所は、河川内の捨石護岸の上であり打音検査を予定していた通路上の範囲ではありませんが、老朽化が進行している可能性があるため、剥落箇所を含め早急に打音検査を実施します。』と云っています。
鋼板桁のはしですので、車道部分のコンクリート舗装の劣化によるものかなと(わたしは)思いましたがよくはわかりません。 |
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初代の三篠橋は1912(明治45)年木橋として架橋されましたが、洪水で何度か破損したそうです。 |
(二代目の)旧三篠橋は、1932(昭和7)年竣工のRC(鉄筋コンクリート)桁橋として架橋されました。
1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風で勾欄の笠石をはじめかなりの部分が破損して川中へ転落し大破しましたが、一部分通行できました。
爆心地から≒1470m。
同(1945)年10月の洪水で橋脚が流れるなどの被害を受けました。その橋は1978(昭和53)年に解体されました。 |
2000年に遊覧船に乗った時この三篠橋を撮影していたました。2001年撮影画像とでこの頁を編集しました。 |
2005年、2007年、2009年撮影の画像で再編集しました。 |
13.11.04.更新 09.09.14再編集 03.06.01裕編集 |