住吉橋記念燈

  中区住吉町の住吉橋東詰北側に建立されている「住吉橋記念燈」です。
「住吉橋記念燈」      平成12(2000)年4月吉日  住吉町町内会・舟入本町町内会
住吉橋は、浅野藩の時代、広島城防衛のために架橋は許されず、往来は渡し舟のみで人々は不便をかこっていました。
明治43(1910)年本川(旧太田川)を挟む両地元住民有志の出資を基に待望の木造橋が完成しました。住民の喜びは大きく、その思いは橋の袂への「記念燈」建立となりました。当時、本川は広島と瀬戸の島々とを結ぶ水上交通の要衝で帆船の行き来が多く、水上交通の安全も祈って常夜燈を模したものとと思われます。

昭和20(1945)年8月6日米軍投下の原子爆弾による爆風・豪火で一帯は焦土と化しましたが記念燈は奇跡的に倒壊をまぬがれました。

平成5(1993)年太田川高潮対策事業における堤防工事に伴い、記念燈は止むなく撤去されることになりました。記念燈建立への想いや地元民の苦難の道を偲んでいたくこれを惜しみ強く保存を願い出ました。その結果平成8(1996)年9月18日もとの位置に復元することができました。この経緯を胸に、記念燈がいつまでも地域住民の心を照らすことを願うものです。
2005年交流ウォークの時、住吉橋の東詰北側に設置の「住吉橋記念燈」を教えていただき、説明板を読むと、初代の住吉橋が明治43(1910)年に木造橋として架橋されたことがわかりました。
2005年頁を編集しましたが、この住吉橋記念燈だけの画像でしたので、記念碑の周りがわかる画像などを追加し、2012年のいまになりましたが、再編集しました。
12.03.09再編集   05.08.04裕・記編集

11.03.05撮影
広島市中区住吉町5 住吉橋東詰北側 〈左:住吉神社、右(松原の中に)記念燈の上部が見えています〉

08.08.16撮影
住吉橋記念燈          (手前が住吉橋、向う側が新住吉橋)

05.07.16撮影

05.07.16撮影

08.08.16撮影



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