稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板

  中区橋本町の稲荷大橋西詰北側に建立されている「稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板」です。
稲荷町電車専用橋・原爆被災説明板
爆心地から約1,350m
京橋川に架かるこの鉄橋は、人類史上初めての原子爆弾により、爆風でレールが上下左右に波打ち、熱線で枕木が焼けこげました。
市内電車の専用橋でしたが、下流の柳橋が焼け落ちたこともあり、市内中心部から郊外へ避難するため、多数の被爆者がこの橋を渡りました。橋の下では、無数の死体が浮かぶ川に、水を求める人が殺到しました。
爆風によりレールが曲がった稲荷町電車専用橋
1945(昭和20)年8月11日 宮武甫氏撮影
現在の稲荷大橋とほぼ同位置に架橋されていた被爆した稲荷町電車専用橋は鉄橋として、大正元(1921)年11月竣工、昭和20(1945(年8月6日被爆の惨禍を経て架替えのために昭和25(1950)年解体されました。
架替えられた稲荷大橋は、戦後最初の電車併用橋として1950(昭和25)年に架けかえられたと聞きます。
2000年撮影してこの頁を編集しましたが、PCを壊し元画像を失い更新できなかったので2004年撮影して新たな画像で編集しました。
この時はこの原爆被災説明板の北側緑地帯にはなかった水辺のオープンカフェが2005年10月オープンしました。 
時々この稲荷大橋を渡ってはいましたが、原爆被災説明板の碑文が変更された西つ名板を散見しましたので2019年久しぶりに撮影しました。
碑文は以前のままでしたが、右岸だけだった京橋川「水辺のオープンカフェ」が左岸にもオープンして、この原爆被災説明板の周辺が変わってきています。(別頁でオープンカフェの頁も更新しました)
20.01.18.更新    00.07.30裕・編集
   関連頁:稲荷大橋

04.04.06.撮影
広島市中区橋本町9 稲荷大橋西詰北側 

05.08.06.撮影

06.12.11.撮影

19.04.18.撮影
原爆被災説明板と現在の稲荷大橋 

19.04.18.撮影

19.04.18.撮影
(西側から原爆被災説明板をみました) 

19.04.18.撮影
(当初の説明文のままです) 

19.04.18.撮影
相王通り(電車道)向側:“LABI広島”“福屋”の屋上看板が見えます(現在)稲荷大橋から被災説明板裏側をみました 
現在(2019年)は“LABI広島”の屋上看板が見えますが、その建物はこの頁を更新した2007年6月10日当時は天満屋百貨店の屋上看板だったのです。    
1954(昭和29)年6月24日広島天満屋になっていた建物でした(が、経営不振で)
2012(平成24)年3月4日天満屋広島は百貨店としての営業を終了しました。
       6月8日(1階から5階までをヤマダ電機)「LABI広島」などとして再開しています。



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