鶴見橋・原爆被災説明板
  南区比治山本町に広島市によって建立されている「鶴見橋・原爆被災説明板」です。
鶴見橋・原爆被災説明板  
爆心地から約1,650m   
(被爆したヤナギ≒1,700m)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。
人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。
原爆の強烈な熱線により欄干など(当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。
シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。
東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ  1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影
1945(昭和20)年8月6日被爆時欄干など一部が熱線により自然着火したがこれを消火、比治山への被災者が続々と渡ったそうです。爆心地より≒1650m。
被爆の惨禍から復興していく過程を被爆に耐えたシダレヤナギとともにみてきたのでしょうねその橋も架替えの為に1957(昭和32)年解体。
2004年撮影してこの頁を編集しました。
コロナ禍の2021年久しぶりに原爆被災説明板を主として撮影しましたので、この頁を更新しました。
22.07.19,更新   04.04.20裕・記編集

04.04.06.撮影
広島市南区比治山本町20 (鶴見橋東詰北側)

04.04.06.撮影
原爆被災説明板は東詰北側に設置されています

旧鶴見橋
1880 明治13年 木製桁橋として竣工
1957 昭和32年 架替えのため解体

06.08.06.撮影
被爆したシダレヤナギ と 原爆被災説明板を≒北側からみました

21.08.11.撮影
(広島電鉄比治山線越に)原爆被災説明板をみました

21.08.11.撮影
被爆したシダレヤナギ と 原爆被災説明板を≒北東側からみました

21.08.11.撮影

21.08.11.撮影
原爆被災説明板を正面・東側からみました

21.08.11.撮影
(経年変化で少し黄色くなってきているように思いました)

21.08.11.撮影
原爆被災説明板後側を≒西側からみました

21.08.11.撮影
原爆被災説明板後側        被爆したシダレヤナギ



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