ひぢやまはし
比治山橋
(被爆橋梁)
  中区鶴見町と南区比治山本町を繋ぎ京橋川に架かる「比治山橋」です。
*この頁の題:比治山橋の読みは橋名板の(旧かなづかい)「ひぢやまはし」を使用しています。
※京橋川のこの付近には、(架橋前は)大黒渡しといわれた渡し場がありました。
※比治山橋は、1939(昭和14)年9月架橋されました。
  橋長:147.5m、幅員:20m、上部:RCゲルバー桁橋、下部:門型橋脚です。
この比治山橋は、1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風で(下流側の西詰よりの)欄干一部が落ちましたが落橋はまぬがれ渡ることが出来ましたので、多くの被災者が比治山方面に逃げることができました。しかし、橋には死体多数が折り重なっていたそうです。
       爆心地より≒1710m。
被爆以後、改修されながら現在に至っています。
橋の資料は広島原爆戦災誌他を参考にしました。
現在この比治山橋の下流の平野橋に国道2号線が通り、上流には100m道路(平和大通り)の橋として鶴見橋があることからか、わたしには殆ど渡った事がない橋でしたが資料をみると、現存する被爆した橋梁だったのです。
2005年1月撮影した時南側に改修用足場が架けられていましたが、11月の時は北側に足場が架けられていました。
2012年ぶらり散歩した時平野橋上からこの比治山橋を撮影しました。プレジャーボードの係留がなくなっていました。
2015年撮影しました。2018年に北側から撮影し、撮影年代ごとに整理し直しました。
19.10.23.更新   15.04.07.再編集   05.02.22裕・記編集
関連頁(現存の被爆橋梁) 京橋栄橋比治山橋猿猴橋荒神橋観光橋

05.01.28.撮影
広島市中区鶴見町と南区比治山本町を繋ぐ比治山橋≒南(平野橋上)からみました

05.01.28.撮影
2005年1月には、南(下流)側には(補修用)足場が架かっていませんでした

05.01.28.撮影
橋名板:ひぢやまはし 橋名板:比治山橋 親柱

05.01.28.撮影
2005年≒西南側からみました

05.01.28.撮影
2005年1月は、北(上流)側には改修工事用の足場が架かっていました

05.11.22.撮影
2005年11月は、南(下流)側に改修用の足場が架かっていました

06.06.17.撮影
2006年≒西北からみました

12.02.25.撮影
2012年<満潮時> 右岸(画像では左側)に2005年当時はなかったマンションが建ちましたね

15.02.21.撮影
2015年<干潮時>みました

15.02.21.撮影

15.02.21.撮影
≒西南かわからみました

15.02.21.撮影
≒西北からみました

18.08.26.撮影
(上流の鶴見橋)北側からみました

18.08.26.撮影



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