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中区白島東町と東区二葉の里2の両岸の京橋川(神田川)に架かる「山陽本線神田川橋りょう」です。 |
現在JR山陽本線の鉄橋は上りと下りが別々に架橋されています。下り側鉄橋の銘板を見ると1965(昭和40)年とあります。 |
被爆した山陽本線神田川鉄橋は、1895(明治28)頃※1の架橋といわれ、1945(昭和20)年8月6日(月)8:15下り貨物列車49両編成がさしかかっていた時に被爆し8両(落下せず)脱線転覆し発火、積荷のドラム缶が次々に爆発した※2そうです。
しかし、8月8日には単線で旅客列車上り16時42分、下り15時30分が通過復旧したそうです。
解体時期は不詳となっていますが、現・鉄橋銘板から1965(昭和40)年頃とおもわれます?が。 |
爆心地から≒1,620m |
現在、下流側には1975(昭和50)年開通の山陽新幹線の高架橋が架橋されています。 |
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※1 |
広島駅から下関方面への鉄道工事は草津:鷺森神社社殿が移設されたのが1895年と説明版にありました。 |
※2 |
おじさんの「原爆記」にも「(饒津)ガードを中にして貨物列車が転覆して火を吐いている」と記述があります。 |
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資料は広島原爆戦災誌を参考にしました。爆心地からの距離は平和記念資料館の資料を参考にしています。 |
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1987(昭和62)年国鉄分割民営化で現在JR西日本になっています。岡山〜博多間新幹線が1975年開業。 |
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神田川は、江戸時代初期京橋が架けられ京橋川と一般に呼ばれるようになったそうです。 |
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(東区)牛田に住んでいたわたしですが、おじさんの「原爆記」をHPに取り上げるまで、この神田川(山陽本線)鉄道橋に目を向けることもありませんでした。牛田附近の橋々を撮影し編集しだしてこの鉄道橋も編集しようと思ったのです。 |
05.06.29更新 05.04.17裕・記編集 |