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中区銀山町と南区稲荷町を結び京橋川に架かる「柳橋」です。 |
(現在の)柳橋は、橋長:91.2m。幅員:3m。8径間、H形鋼桁橋です。
歩道専用橋(自転車まででバイクは禁止)として1964(昭和39)年5月完成と聞きます。
柳橋は、架けかられる度に小さな橋になったと聞きます。
戦前、柳橋西詰に大きな柳があったそうですが、現在東詰に柳の木があります。柳橋の名を体現するような大木になることをわたしは祈っているのですが。 |
初代の柳橋は1878(明治11)年東柳町の長岡市之介と松本介三により架橋され、渡料を徴収したそうです。 |
被爆した柳橋は、1912(明治45)年12月木桁橋として架橋されました。1944(昭和19)年の水害にあいその後は仮修理で南側は渡れず北側だけの一方通行だったそうで、1945(昭和20)年8月6日被爆して、橋中程と東寄りに積んであった修理用(の木材)資材が自然発火して焼け落ちました。(被爆後1時間位は渡れた)そうです。
爆心地より≒1,370m |
2000年7月撮影し頁を編集しました。
画像の処理がまずく更新しようとしましたがPCを壊したりしたことで画像を失っていましたので、2005年、2006年撮影画像で再編集しました。 |
2011年西詰の柳とこの柳橋が写る角度で撮影し、橋桁のH形鋼がわかる角度からも撮影していましたので、今になりましたが、頁を更新しました。
2018年久しぶりに撮影していましたので、この頁を更新しました。 |
19.11.09.更新 00.07.30裕・編集 |
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00.07.22撮影 |
広島市南区稲荷町と中区銀山町を結ぶ柳橋 |
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05.02.02撮影 |
(手前側)柳橋を≒南よりみました (向側のバスが通っている橋は稲荷大橋) |
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05.02.02撮影 |
2000年当時はバイク通行止めバリケードは設置されていませんでした |
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06.06.30撮影 |
干潮時の柳橋 |
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06.06.30撮影 |
西詰北側のヤナギと柳橋 |
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06.06.17撮影 |
08.08.16撮影 |
親柱は被爆当時のものだそうです |
東詰より見ました |
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11.12.05撮影 |
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12.03.25.撮影 |
上下流の東広島橋からみた柳橋 |
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18.10.03.撮影 |
上流の稲荷大橋からみた柳橋 |
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18.10.03.撮影 |
手前:柳橋 向側:東広島橋 |
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