きやうはし
京橋
(被爆橋梁)
  中区橋本町と南区京橋町を結び京橋川に架かる「京橋」です。
*この頁の題:京橋の読みは橋名板の(旧かなづかい)「きやうはし」を使用しています。
※毛利輝元(1553-1625)が広島城に入城したその年1591(天正19)年に、京に向かう橋ということで「京橋」が誕生したそうで、京橋川は京橋が架けられた川ということで明治以降呼ばれたそうです。
※最初の京橋は、長さ36間5分(≒65m)幅3間5分(≒3.5m)と古文書に記録があるそうです。
・現在の京橋は、1927(昭和2)年8月国道橋として架橋されました。
橋長:64
.5m、幅員:8m、上部:ゲルバー鋼鈑桁橋、下部:壁式橋脚
1945(昭和20)年8月6日原爆で親柱の上部がずれた程度で、通行には支障はなく、被災者が続々と渡ったそうです。(後の9月の枕崎台風の被害もなかったそうです。)
爆心地から≒1,380m 
2000年撮影してこの頁を編集しました。
京橋は、全国各地にあるようです(あったものも含め)東京、大阪、神戸、舞鶴、和歌山などにあります。
京橋という橋銘版に『ひらがな:きやうはし』『漢字:京橋』があり、
京に向う側にはひらがなで、京から(学問を修めて帰ってくることから)帰ってくる側には漢字で表示の版が付けられるのが普通なのだと聞きましたが。ここ広島の京橋は逆になっています。

逆になっているのはおかしいという方の話では「原爆被害を受けて補修するときに職人が間違って付けたのでは?」ということでしたが、この話を聞いたときわたしは職人気質が色濃く残る戦後間もない頃そのような単純な間違いをする職人(親方)がいたとは考えにくいと思い、職人を馬鹿にした話だと思ったものでした。
説明板が設置された頁を編集しましたので、この話も取上げてみました。
23.10.08.更新    00.07.30裕・編集
関連頁(現存の被爆橋梁) 京橋栄橋比治山橋猿猴橋荒神橋観光橋
関連頁:(京橋西詰北側に2006年10月に設置された)説明板

00.07.22.撮影
広島市中区橋本町と南区京橋町を繋ぐ京橋  (後側の山・二葉山で仏舎利塔がみえます)

00.07.22.撮影

00.07.22.撮影

00.07.22.撮影

00.07.22.撮影
親柱 きやうはし 昭和二年六月竣成

04.04.06.撮影
(満潮時の)京橋を≒北東よりみました

04.02.08.撮影

04.02.08.撮影
(2000年には落書きは無かったのですが) 昭和二(1927)年六月竣功とあるが資料では8月となっています

05.02.02.撮影
(京橋川河畔緑地帯に雪が積もっていました)

06.01.02.撮影
(照明灯がともっていましたが腕がついて行きませんでした)

08.05.17.撮影
(川面に写る町並みを眺めました)

11.04.09.撮影

19.03.17.撮影
(≒南側から京橋をみました)

22.10.19.撮影
〔2019年左岸(画像では右側)に建設中だったビルが完成しています〕

22.10.19.撮影
(下流側)稲荷大橋上からみた京橋   (向側:上柳橋)



「広島の橋」編・全体


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