さかえばし
榮橋
(被爆橋梁)
  中区上幟町と南区大須賀町を結び京橋川に架かる「栄橋」です。
*この頁の題:栄橋は、橋名板の(旧字)「榮橋」を使用しています。
※ここには、(架橋前は)大須賀渡しといわれた渡し場があったそうです。
※初代榮橋は、1906(明治39)年3月木橋として熊谷栄次郎によって架橋されたそうです。
1930(昭和5)年10月架橋の榮橋(栄橋)は、原爆の惨禍を経て現在に至っています。
橋長:87.22m、幅員:7.2m、上部:鉄筋コンクリート連続桁橋、下部:多柱式橋脚の橋。
1945(昭和20)年8月6日(月)8:15原爆が炸裂した時、橋床上を鬼火のように怪火が飛んだそうです。
架橋方向が爆風方向であったので被害少なく被災者が東錬兵場へ向けて続々と渡ったそうです。

                    爆心地から≒1,510m
デッキプレートの断面が見える橋・床版、貧相な手摺、榮橋が竣工したという1930年にはなかったろうにと思っていたのです。資料を見ていると1970(昭和45年)から1971年にかけて歩道部分が増設されたことを知ったのです。(それまでは他の被爆橋梁と同じような石造りの手摺だったのです)。
また、1984(昭和59)年頃榮橋の架替え工事が計画されていたようですがいまは頓挫しています。
2010年歩道部分の改修工事が行われ、デッキプレートの小口を隠し、手摺が新しくなっていました。
被爆した橋梁として残すことになったのでしょう2010年デッキプレートの小口がみえていた増築されていた歩道部分の海ちゅう工事が始まっていました。
2011年みると歩道部分の手摺も新しくなり、デッキプレートの小口も見えないようになっていました。
2015年久しぶりに撮影していました。
2018年橋下からみると2010年の歩道修繕工事のときに、橋桁下に補強用鉄板が取り付けられ、コンクリート劣化を留めようとする塗装が行われたことがわかりました。
、2010年、2011年、2015年、2018年撮影の画像を加え頁を更新しました。
 18.07.07.更新   00.07.30裕・編集
関連頁(現存の被爆橋梁) 京橋栄橋比治山橋猿猴橋荒神橋観光橋

00.07.22.撮影
広島市中区上幟町と南区大須賀町を結ぶ栄橋  (≒南西よりみました)

00.07.22.撮影

00.07.22.撮影

03.05.08.撮影
東詰にある横断歩道よりみる

03.05.08.撮影
多柱式橋脚   (外側の円柱は歩道部分増設の為に施工されたもので中のRCの角柱が被爆当時のものです)

04.02.08.撮影

04.02.08.撮影
榮橋 さかえばし

10.04.18.撮影
(前回撮影してから何度も渡っていましたが久しぶりに撮影しました)

10.04.18.撮影
サクラと栄橋

10.12.31.撮影
2010年8月からはじまった栄橋(増築されていた)歩道部分の改修工事を12月撮影しました

11.11.19.撮影
(両側の)歩道(部分)修繕工事が終わった栄橋を撮影しました

15.01.11.撮影

18.03.27.撮影
桁下部に補強用鉄板が取り付けられていました

18.03.27.撮影



「広島の橋」編


被爆した構築物等



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