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中区東平塚町・鶴見町地区と南区比治山本町を結び京橋川に架かる「鶴見橋」です。
※比治山には過って鶴(ソデグロヅル)が飛来していたと伝えられ、鶴を入れ置いた‘鶴小屋”の地名も残り、橋名はこれに基づくそうです。 |
初代の鶴見橋は、比治山渡しと云われた渡し場附近に、1880(明治13)年木製桁橋として長さ110mあまり、幅5.4mで竣工、1896(明治29)年まで渡橋賃を徴集。 |
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1945(昭和20)年8月6日被爆時欄干など一部が熱線により自然着火したがこれを消火、比治山への被災者が続々と渡ったそうです。
爆心地より≒1,650m。
被爆した鶴見橋は、架替えの為に1957(昭和32)年解体されました。 |
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資料は広島原爆戦災誌他を参考にしました |
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2代目として1957(昭和32)年架け替えられた鶴見橋は丸太にかすがいの木橋でした。
1973(昭和48)年解体されました。
その後の3代目の鶴見橋は、幅1.8mのRC橋で人と自転車だけの歩道橋だったそうです。 |
現在の橋は、4代目の鶴見橋で、
諸元は、3径間連続鈑桁橋。長さ96,8m、車道幅9.25m、歩道幅5mとして1990(平成2)年3月竣工しました。 |
2004年撮影してこの頁を編集しました。 |
2015年久しぶりに橋の下流側より撮影していました。2018年のいまになりましたがこの頁を更新しました。
2021年コロナ禍の中でしたが近くに行きましたので、撮影しました。 |
22.10.23.更新 04.04.20裕・記編集 |
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04.04.06.撮影 |
広島市中区東平塚町・鶴見町地区と南区比治山本町を繋ぐ鶴見橋を≒南東よりみる |
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04.04.06.撮影 |
鶴見橋を≒南西(東平塚町)よりみる(現在の橋は平成2年3月竣工) |
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08.03.15.撮影 |
(京橋川干潮時でした)橋脚はRC打放ではなく竪溝をデザインしたものでした |
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15.03.21..撮影 |
(鶴見橋向こうに見える比治山の鉄塔が1基になりました) |
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15.03.21..撮影 |
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15.03.21..撮影 |
下流右岸側からみました |
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21.08.11..撮影 |
(上流左岸側から鶴見橋をみました) |
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21.08.11..撮影 |
(鶴見橋西詰からました) |
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21.08.11..撮影 |
(上流右岸側から鶴見橋をみました) |
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