ひまわり大橋

  安芸郡海田町窪町と海田町大正町を結び瀬野川に架かる「ひまわり大橋」です。
※3径間のPC桁橋、橋長:75.6m。 幅員:13.0〜40.0m。
※ひまわり大橋は、歩行者、自転車専用の橋です。
*おじさんの原爆記に出てくる長男・嘉光さんが学徒動員で行っていた矢野の(陸軍)需品廠に、海田市から引込線がありその鉄橋がこのひまわり大橋が架橋されている処にあったそうです。
1993(平成5)年に完成した歩行者・自転車専用のひまわり大橋です。
橋の名前は、海田町の花ヒマワリにちなんで公募し選ばれたそうです。
鼓をモチーフとし、橋の高欄側を自転車通行帯、中央部を歩行者通行帯として交通動線を考慮したX形の平面形状としています。
この橋は、
海田(開田)がその昔「鼓浦」(とか包浦)と呼ばれていたことに由来し、鼓(つづみ)をイメージしているそうです。
このモニュメントは、橋梁における垂直のシンボル性を高める施設です。
デザインは波をモチーフとし、重なり合いながら高さを増してゆく4本の柱は、21世紀へ向かって海田町の発展する姿を象徴しています。モニュメントに設置されているカリオン(carillon≒組み鐘)は、時報のほか、朝昼夕にメロディーを奏でます。
(上記のように)モニュメントに対するデザイナーの説明が付いていました。
デザインは自由というものの読めば、鉛直方向のシンボル性を高め云々と述べています。しかし、橋は安全に渡れ、税金を使っての工事を思えばわたしには“こじつけ”としか思えませんでした。
これで多額のデザイン料を得て、また工事費を増したことはバブル期の遺産のように思いました。
2000年撮影してこの頁を編集しました。
2005年に橋のモニュメントの説明板に気が付き読んでみて、それについてわたしの個人的感想を記述しました。
2017年久しぶりに撮影しましたので、掲載画像も見直し、この頁を再編集しました。
2019年近くを通った時、2018年7月6日西日本豪雨で瀬野川に流れ込んだ土砂を撤去していると思ったのですが、。
(海田町役場の資料によると)2019年度中に災害(本格)復旧工事完了予定だそうでした。(九十九橋の頁に)
ただ、支流の安芸区畑賀川で流された6歳と11歳の姉妹がいまだ行方不明ということでここ瀬野川で捜索が何度か行われ、流れ込んだ土砂の撤去に関しては慎重に作業すると報道はありました。)
20.01.22.更新   17.05.23.再編集   00.10.01裕・記編集

00.08.17撮影
広島県安芸郡海田町窪町と大正町を結ぶ「ひまわり大橋」 

00.08.17撮影
≒東北から「ひまわり大橋」をみました 

00.08.17撮影
親柱にあたる部分には橋名板とカモメ?のオブジェがあります

03.04.18撮影
橋の中央部が歩行者通行、欄干側が自転車通行となっていますが。
橋の南側に方位盤のある広場を設け、イベントを行うこともできるようになっているようです

05.10.03撮影

05.10.03撮影
モニュメント モニュメント説明板

06.06.07.撮影
≒西南よりひまわり大橋をみました

17.03.01.撮影
(上流側九十九橋から)ひまわり大橋をみました

17.03.01.撮影
 (上流の九十九橋よりみました)

19.04.18.撮影
≒北西(下流右岸道路)よりみました〔2018年7月6日西日本豪雨災害での護岸復旧工事が行われていました〕

19.04.18.撮影
JR海田市駅側よりみました

19.04.18.撮影
(モニュメントをJR海田市駅側からみました)



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