|
安芸郡海田町窪町と大正町を結び瀬野川に架かる「九十九橋」です。
〔※(2005年新聞報道では)4径間の鋼製トラス橋、橋長70m、幅員4.6mです。〕
※(広島県道路企画課の2021年11月の資料では)一般県道府中海田線の橋梁。
4径間単純鋼下路式ワーレントラス橋、橋長75.0m、全幅4.7mと云っていますので追記しました。
*米軍空襲時の銃弾が貫通した部材を撮影しましたので別頁で編集しました。 |
※ |
2021年11月9日中国地方から中区の本川橋と海田町の九十九橋が選ばれ、国際会議場で「土木遺産」の認定式が行われ、土木学会・谷口博昭会長(1948- )から市と県の代表者に認定証と銘板が手渡されました。
認定理由は『兵器を製造していた工廠の廃材が戦後復興を象徴する橋に生まれ変わり、人々の生活を支えていることが歴史的に大きな価値がある』ということでした。 |
|
瀬野川に架かる橋の中でこの九十九橋の立派なトラス橋だな〜と以前より思っていたのです。
2000年海田市駅付近の橋の頁を編集するのに撮影し、頁を編集しました。
2005年この頁を更新するために再び撮影しました。
中國新聞の記事でその歴史について知りましたので追記しました。 |
海田市駅附近の橋を≒五年ぶりに撮影して編集しようかなと思っていた時に中國新聞を読んでいるとこの九十九橋の事が記事になっていました。
『1945(昭和20)年敗戦の前日(8月14日)米軍の空襲で壊滅状態になった光海軍工廠(呉鎮守府所属)の骨組だった鋼材を使用してつくった橋』と戦後の物資不足の為に廃材となったものを再利用した事を知りました。
橋は、1950(昭和25)年6月竣工と橋銘板で知っていましたが、橋長70m、幅員4.6mという事も。
橋に使用した材料には空襲時の弾痕跡があることも知り、後日撮影しました。 |
山口県光市 |
1938(昭和13)年に島田村から光井村にかけて海軍工廠を建設することになり、周辺の浅江村、三井村、島田村及び光井村の四ヶ村が合併、1939(昭和14)年に周南町が発足。
1940(昭和15年)海軍工廠が「光海軍工廠」と命名されたことから、町名を光町と改めた。その後、光町と室積町の二町が合併、1943(昭和18)年4月1日に光市が誕生しました。 |
関連頁:(旧光海軍工廠の鉄骨も使って再建された)本川橋 |
06.11.14追記 |
|
|
2019年2月21日JR海田市駅そばにハローズが開店しました。
〔前町長が海田市役場予定地にとしていた処でしたが、現町長が示した南昭和町への新庁舎が議会で決まりましたので〕ハローズ出店につながったようです。
2019年4月近くを通った時、2018年7月6日西日本豪雨で瀬野川に流れ込んだ土砂を撤去していると思ったのですが、(海田町役場の資料によると)2019年度中に災害(本格)復旧工事完了予定だそうで、その工事中でした。
ただ、支流の安芸区畑賀川で流された6歳と11歳の姉妹がいまだ行方不明ということでここ瀬野川でも捜索が何度か行われ、流れ込んだ土砂の撤去に関しては慎重に作業すると報道はありました。)
2020年4月復旧工事が終わった野だろうと立寄り撮影しました(別頁で編集しています)。
2021年11月9日NHKローカルニュースを見ていると、この九十九橋と本川橋が2021年の土木学会の“土木遺産”に認定されたということでしたので追記しました。21.11.10.追記
2021年11月19日広島県道路企画課の資料を見ると橋長が違っていましたので取り上げました。23.09.12.追記 |
21.04.14.更新 00.10.01裕・記編集 |