こうへいばし げんばくひさいせつめいばん
工兵橋・原爆被災説明板

  中区白島北町の工兵橋南詰に建立されている「工兵橋・原爆被災説明板」です。
工兵橋・原爆被災説明板
爆心地から約2300m (≒2320m)
工兵橋は、白島の陸軍工兵第五連隊(現在の安田学園の位置)と牛田の演習場を結ぶため、1933(昭和8)年に架けられました。
原爆によって白島地区はこの工兵隊附近を除いて全焼しましたが、この橋は損傷が少なかったため、おおぜいの被爆者が渡って避難していきました。
工兵橋は、白島(南)側にあった工兵第五連隊が牛田の演習場(工兵作業場)への連絡路として、1889(明治22)年に架橋され、1921(大正10)年吊り橋化されたそうです。
1933(昭和8)年に塔柱RC造、木造吊橋として架け替えられました。
この橋は、1945(昭和20)年8月6日原爆投下で多くの被爆者が牛田方面に逃れ一時牛田方面から市内へ入ることが制限されたそうで、被爆した工兵橋は爆風方向にかかっており被害はほとんどなかったそうです。
工兵橋を撮影した時に、この工兵橋・原爆被災説明板も撮影し頁を編集しました。
2012年近くに来た時工兵橋、工兵橋水位観測所などを撮影する時この原爆被災説明板も撮影していましたので、画像を差し替え再編集しました。
13.06.05再編集     00.07.30裕・記編集

12.02.18.撮影
広島市東区牛田本町6丁目と中区白島北町を繋ぐ工兵橋。  白島側に設置の原爆被災説明板。

01.02.10撮影

03.06.30.撮影

01.02.10撮影
工兵橋・原爆被災説明板 二葉の里・歴史の散歩道:工兵橋説明板

12.02.18.撮影
工兵橋上から原爆被災説明板(裏側ですが)をみました



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工兵橋・原爆被災説明板
旧・工兵橋水位観測所
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