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東区牛田本町の二又橋西詰(土手下)にある「被爆したシダレヤナギ」です。
※このシダレヤナギは、2017年に被爆樹木として登録されたそうで、まだ被爆樹木標識は付いていません。 |
被爆樹木 シダレヤナギ
A-bombed Trees Weeping willow (Salix babylonica)
爆心地から2,050m
高さ5mほどのシダレヤナギです。
被爆前は近所の子どもたちがセミを捕るためにこのシダレヤナギに登っていたそうです。 |
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2018年市役所市民局平和推進課の被爆樹木リストをみていると2015年のリストにはなかったここで取り上げた「二又橋西詰被爆シダレヤナギ」が載っていたのです。
これは撮影に行かなくてはと思って平和記念公園を撮影した後バスで牛田九軒町で降り神田橋を渡って二又橋に行こうと計画しました。暮れになりましたが撮影しました。
神田橋から二又川が京橋川に流れ込む処のヤナギは?とみて撮影したのが最初の画像です。
近くに行って歩道から撮影しましたがよくわからない画像でしたので、土手下に降りてみると被爆したヤナギは幹が相当いたみ朽ちかかろうとしているようにわたしにはみえました。
後日、平和推進課被爆樹木担当のSさんに、2017年に被爆樹木に登録されたこと、まだ被爆樹木標識は付けていないことを伺いました。 |
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この被爆シダレヤナギ横の二又川を≒500mほど上った実家で幼児の時被爆した兄にこのヤナギについて聞いてみました。次の二つのことをおぼえているとのことでした。
1) |
京橋川土手には柳並木といえるほどではなかったかもしれないが、土手沿いに柳の木が並んでいた。その中の一本が(ここで取り上げた)被爆したシダレヤナギなのだと思う。
近所の子どもたちと遊びには来たことはあったが、(水難事故が起こっていたようで)大人たちは遊ばないように注意していたので、木に登ったことはあったかもしれないが、頻繁には遊んだ記憶はないそうでした。 |
2) |
現在の京橋川土手上の道路は、柳から相当高い位置にあるが、当時は柳の木と同程度か若干高い程度だった。
北東にさかのぼている二又川の土手も現在よりもだいぶ低かった。
(現在、二又土手道路沿い西側の民家は低い位置で建っていることでもわかります) |
毛利輝元築城の広島城を洪水から守るために基町・白島側の京橋川土手は高く築かれ、牛田地区側の土手は低く築かれていたということを聞いていましたが、この被爆したシダレヤナギからその話が実証されたと(わたしは)思ったのです。19.03.18. 追記 |
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関連頁:2023年編集(伐採された)被爆シダレヤナギ |
19.01.10.裕・記編集 |
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18.12.25.撮影 |
広島市東区牛田本町1-10 二又橋西詰 (を神田橋からみました) |
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18.12.25.撮影 |
(倒れ気味で黄葉している被爆したシダレヤナギ) |
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18.12.25.撮影 |
(西側から京橋川土手下の被爆したシダレヤナギは見にくくなっています) |
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18.12.25.撮影 |
(土手上歩道からみました9 |
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18.12.25.撮影 |
二又橋東詰北側からみました |
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18.12.25.撮影 |
土手下に降りて西側から被爆したシダレヤナギをみました |
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18.12.25.撮影 |
西側から根回り部分をみました |
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18.12.25.撮影 |
西側から根回り部分をみました |
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18.12.25.撮影 |
幹は朽ちてきてウロになってきているようでした |
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18.12.25.撮影 |
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広島城側 京橋川 二又橋側 |
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