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中区白島九軒町と東区牛田本町を結び京橋川に架かる「神田橋」です。
※(現在の)神田橋は、1962(昭和37)年竣功。7径間プレテンション桁橋です。
※神田橋上部工補修工事が、2020(令和2)年1月19日の工期で、工事費7,895万円で行われています。
※下流側には、(歩行者専用)神田橋側道橋があり1991(平成3)年4月12日の渡りはじめ式が催されました。 |
神田橋は、古く1664(寛文4)年(ころ、広島藩二代浅野光晟時代)に白島北町一本木から牛田の神田八幡宮への道筋、神田川※1)に(木橋が)架橋されました。
これが(初代)神田橋と云われています。
後に流勢が強く二丁☆2)ほど下流に橋を移し、文化・文政(1804-1818・1818-1830)の頃は牛田橋と呼んだ事もあったそうです。 |
(度々流出した)木橋であった神田橋は、1923(大正12)年7月にも流失したのち、
1926(大正15)年RC桁橋として竣工しましたが、
1945(昭和20)年8月6日(月)原爆にあり、被爆した多くの人々が渡り、また倒れ、亡くなった過去を閉じ込めたまま、1962(昭和37)年架替えのために解体されています。 |
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原爆の爆風方向に架かっていたので渡橋できたが、白島よりの部分は陥没して危なかったそうです。
爆心地より≒2,030m |
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現在の神田橋は、1962(昭和37)年竣功と聞きます。
橋長さ≒95mというのに壁式橋脚が6基(も)あります。
7径間プレテンション桁橋ですが、桁の形が中空になっているホロー桁だそうです。 |
※1) |
江戸時代初期に京橋がかけられてからは京橋川と呼ばれるようになったと聞きますが、
広島原爆戦災誌にも記述がありますがこの付近はまだ神田川と呼ばれていました。
また、神田橋下流の山陽本線の鉄橋も資料を見ると神田川鉄橋といわれていたようです。 |
☆2) |
一丁=60間≒109,09m、(一間=六尺) |
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現在、下流側に歩道専用橋(神田側道橋)が架橋されています。
神田橋の頁なのに、歩道橋は写っていても、神田橋が良くわからないので、2012年に撮影していました。年を越した2013年になりましたが、画像を追加し頁を更新しました。 |
2018年8月神田橋を撮影したのですが、ボーッとしていたのでしょう(上流側に少し離れてはいるというものの)神田橋水管橋のことを考えていなかったのです。
神田橋水管橋が平成29年度末(2018年2月3月)に解体されたと後日知ったので撮影に行かなくてはと思いながらこの頁を更新しました。 |
19.10.30.更新 00.07.30裕・編集 |
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関連頁:神田橋と蜆漁 |
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01.02.10.撮影 |
広島市中区白島九軒町と東区牛田本町を結ぶ神田橋
手前:神田側道橋 その根際上流側:神田橋 向側:(トラスがみえる)神田水管橋 |
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05.04.09.撮影 |
櫻と神田橋を思って撮影したのですが、櫻ばかりでした |
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05.06.07.撮影 |
01.02.10.撮影 |
かんだはし |
神田橋側道橋 |
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06.03.31.撮影 |
蜆漁の漁師さん と 神田橋側道(歩行者専用)橋 と 神田橋 |
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12.01.09.撮影 |
牛田側から白島側の神田橋をみました |
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12.01.09.撮影 |
白島側から牛田側の神田橋をみました (後ろの山が見立山です。右下流側が神田側道橋です) |
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13.04.20.撮影 |
(上流の牛田大橋からみました)神田橋の手前に神田橋水管橋がみえます |
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13.04.20.撮影 |
牛田側から白島側をみました |
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15.04.09.撮影 |
白島側から牛田側をみました |
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18.08.26.撮影 |
(2012年同じような角度から撮影していましたが)その間橋脚が補修されたようです |
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19.10.28.撮影 |
神田橋は、東4区2号線神田橋上部工補修工事中(令和2年1月19日まで)工事費7,895万円 |
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19.10.28.撮影 |
(上流側牛田大橋からみました)神田橋水管橋撤去され、工事中の神田橋がみえました |
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