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東区二葉の里・南区大須賀地区と中区白島地区とを結び京橋川に架かる「常葉橋」です。 |
1880(明治13)年初代の“ときは橋”(発音は‘ときわ’としていたとわたしは思うのです)が架橋された時は、「常葉橋」と橋名柱に彫られていましたが、「ときわ」からくる漢字のイメージが“常盤”ということで、橋名の混乱がおき、大正以降は「常盤橋」が大勢を占めるようになったそうです。
1929(昭和4)年竣工のRC桁橋にも常葉橋と銘板にはあったそうです。 |
1929(昭和4)年竣工の常葉橋は、1945(昭和20)年8月6日被爆(爆心地より≒1,550m)*し、橋床のアスファルトが熱線により自然発火、一時その火災のために渡れない時もあり(おじさんの原爆記にも記述があります)石造欄干は川の中に落ちたそうです。
その(被爆した)常葉橋も頭柱(橋銘板は戦時軍需物資として供出して無くなっていました)を残して1977(昭和52)年解体されました。 |
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被爆した人々がこの橋を渡り(東方向)牛田方面に逃れたと聞きます、多くの方々が亡くなり、西詰の常盤公園には国鉄原爆死没者慰霊之碑が建立されています。
また、京橋川沿いには白島九軒町原爆死没者慰霊碑(亡くなった方々の火葬地)が建立されています。 |
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現在の常葉橋は、(上り下りが)分割して架橋されました。
第一橋が1975(昭和50)年に、第二橋は1978(昭和53)年に完成しています。
竣功プレートでは、第1橋「常盤橋」、第2橋「常葉橋」となっていますので、橋名称の混乱がまだあったようですが、第2橋は「常葉橋」となっていますので役所的(広島県)には常葉橋で統一することにしたのでしょうネ。 |
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常盤橋
1974年3月
広島県
道示(1972)一等橋
使用鋼材:SM、SS
製作:高田機工(株) |
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常葉橋
1977年3月
広島県
道示(1972)一等橋
使用鋼材:SM、SS
製作:(株)横河橋梁製作所 |
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「常葉橋」の名は橋頭が饒津(にぎつ)神社の庭に接しており、緑樹が生い茂って青々としていたので、その名が付いたと四国五郎(画家:1924-2014)さんの著書にありました。 |
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*常葉橋を編集するに当たっての参考資料 |
おじさんの原爆記にも度々出てくるこの常盤橋、資料をみていると常葉橋と表記していました。
近くに住んでいたわたしも常盤橋と思っていました。
どちらでもいいのではと勝手に思い、そう神経質になることはないと思っているのですが、やはり橋名板が常葉橋となっていますので、この頁も「常葉橋」として2000年に編集しました。 |
2009年11月になって常葉橋西詰南側根際の病院玄関に野外彫刻があると云うことで、久しぶりに(広島駅から)常葉橋の下流側歩道をぶらり散歩しながら渡ってそろそろ渡り終わるかなという時、手摺に付けてある橋名板をみると「ときははし」と記述してありました。「ときわ」とばかり思っていたわたしの大間違いに気がついたのです。
最初にこの頁を編集してから9年も経つのに今になって気がつきましたので、恥ずかしいことではありますが、振り仮名を訂正更新しました。 |
2012年橋桁に近づき竣功板をみてみました。上記のように橋名の混乱がまだあったようですが、第2橋は「常葉橋」となっていますので役所的(広島県)には常葉橋で統一することにしたのでしょうね。
2015年になりましたが、画像を追加整理などをしてこの頁を再編集しました。 |
15.01.28再編集 09.11.21追記 00.07.30裕・編集 |