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西区己斐本町と福島町とを結び太田川放水路(太田川本流)に架かる「新己斐橋」を取上げています。 |
現在の新己斐橋は、長さ280m、幅22m、連続鋼鈑桁橋の電車併用橋として1965(昭和40)年3月完成と聞きます。 |
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1965年3月 建設省中国地方建設局建造
道示(1955)一等橋
製作 株式会社呉造船所
材質 SM41W SS41 |
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竣功板をみると橋名が入っていません。橋の製作時には橋名が決まっていなかったように(わたしは)思いました。 |
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1945(昭和20)年8月6日被爆した己斐町電車専用橋は、旧山手川に(現・新己斐橋の)位置より北(上流)側にやや斜めに1912(大正元)年12月に鉄橋として竣功しました。
被爆に耐えましたが、太田川改修事業に伴い1964(昭和39)年に解体されたそうです。 |
旧・己斐町電車専用橋は爆心地より≒2300m |
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2005年撮影しこの頁を編集しました。
車に乗って、市内電車に乗ってこの新己斐橋を渡りみたことはありましたが、今回歩いてみたのはじめてだったな〜と思ったのです。
2006年橋下から撮影したので頁を更新しました。
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2017年撮影時には竣功板を見つけましたのでみると橋の製作が株式会社呉造船になっていました。
呉海軍工廠の敗戦後の歩みを(下記に)調べました。
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1903 (明治36)年呉海軍工廠誕生。1945(昭和20)年10月15日呉海軍工廠廃止。
1945(昭和20)年播磨造船所呉船渠開設。1952(昭和27)年NBC呉造船部開設。
1954(昭和29)年呉船渠(播磨造船所から独立)→株式会社呉造船所設立。
1962(昭和37)年NBC(米ナショナル・バルク・キャリア)は呉造船部を呉造船所へ譲渡。
1968(昭和42)年石川島播磨重工業が呉造船所を合併。 |
小さな竣功板からこの橋を造った呉造船所の歴史を少しばかり知ることができました。
太田川放水路左岸を歩きながらこの新己斐橋の遠景を撮影しましたので、画像を加えこの頁を更新しました。 |
18.02.18.更新 05.02.14裕・記編集 |