御筋橋・親柱

  佐伯区楽々園の‘岡の下川’河畔に残されている「御筋橋の親柱」です。 
旧・西国街道にあった、「岡の下土橋跡」(御筋橋の跡)です。
「中国行程記」※に土橋(二十四間と長い橋)と記され、現在の岡の下川に架けられていました。当時は対岸に向けて直行し、橋梁名が河川名となっていたそうです。その後、明治時代終わり頃から「ミスジガワ」と呼ぶようになり、橋も「御筋橋」と変わったそうです。
現在は橋のあった名残として、北岸に花崗岩製の親柱が一つ残っています。
江戸時代の街道絵図、萩藩の図師・有馬喜惣太(1708-1769)が描いた長大な街道絵図で古跡や景観とともに各地の史実伝承を物語る解説文も随所に載せられており、18世紀の西国街道の様子がわかるものとなっています。
この下流に現在三筋橋という橋が架かっています、御筋とは書いていません。
昔は「みすじ」と読んおり、字を書ける人がそう多くなかったから御筋とも三筋ともそれぞれの人が勝手?に書いたのではないだろうかなんて、筋違いの事を考えながら撮影しました。
07.06.23更新   07.04.08裕・記編集

07.03.07撮影
広島市佐伯区楽々園1 岡の下川河畔

07.03.07撮影



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