あかつきはし
暁橋

  南区南区宇品海岸2と元宇品町を結び広島湾に架かる「暁橋」です。
1889(明治22)年宇品築港で陸続きになった宇品島でしたが、1893(明治26)年宇品町住人が広島県に陳情し水路が作られることになりました。
水路の幅は、僅か3m位で、港内に土砂流入を防ぐ為に観音開きの頑丈な扉を設け必要に応じ開閉する設計でした。 その水路の上に架けた橋を「眼鏡橋」と呼んでいましたがこの名の起こりはよくわかりませんが、一説には橋上から下を覗くと扉と設置の石垣があたかも眼鏡を思わせるような形状から呼ばれるようになったそうです。
その後、大東亜戦争中に陸軍暁部隊が船艇往来の必要から幅を拡げ橋を架け替えて「暁橋」と名を改めました。
戦前、宇品・似島地区には、陸軍船舶部隊が配置されており、通称暁部隊と呼ばれていたことをおじさんの「原爆記」で知ったのですが、現在暁部隊の名を残すものはほとんどなくなっています。暁部隊の関係でその名を残す暁橋を撮影しなくてはと思っていたのです。
「港」の歌碑の碑文を読むと通称:めがね橋と呼ばれていたとありましたが、戦後架け替えられた現在の暁橋の姿からはその通称を示すものはないようでした。
宇品中央公園に建立されている「港」の歌碑を再編集しているときに、国民唱歌「港」を歌った場所が宇品暁橋(通称めがね橋)であることを知りましたが橋の由来については2009年になってわかりました。
09.08.14更新    07.09.03裕・記編集

07.08.17撮影
広島市南区南区宇品海岸2と元宇品町を結ぶ暁橋

07.08.17撮影

07.08.17撮影
あかつきはし 現在の暁橋は、(橋脚がない)1径間の橋です

07.08.17撮影
暁橋から東側をみる、旧市営桟橋地域、(上部に写っている堤防の向こうが旧軍用桟橋があった処です



「広島の橋」編



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暁橋
(暁橋根際)水路開鑿供養塔


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