宇品大橋

  広島市南区仁保沖町と宇品海岸3丁目を結んでいる広島高速3号線の一部が「宇品大橋」で、広島湾に架かっています。
黄金山から広範囲に広島湾方向をみるとこの橋が手に取るようにわかります。宇品大橋は広島高速3号線の一部として2000(平成12)年3月19日開通しました。
この宇品大橋は、橋長≒550m(支間割140m+270m+140m)、幅員22.2m、単弦ローゼで補剛された3径間連続鋼床版箱桁(アーチ部寸法 支間165m、ライズ21m)、桁下高さ30.2m。1998(平成10)年12月に完成。
桁橋としての支間長270mは、日本一だそうです。

広島高速道路公社公開資料を使用
広島高速3号線 (通称:広島南道路)
『広島市南区仁保沖町から西区商工センター一丁目を終点とする延長約9.8kmの広島都市圏における東西方向の主要幹線道路で、現在約9.8kmのうち供用区間は約2.6kmで残りの区間約7.2kmとなっています。(06.05.09.記)
2014(平成26)年3月23日広島南道路の中区吉島地区〜商工センター地区までの区間(≒4.2km)〔広島高速3号線は仁保地区〜観音地区までの有料区間〕全線が開通しています。(16.10.10.記)
この道路は、自動車専用部と一般部を合わせ持ち、専用部は市中心部に入る交通のうち、通り抜けるだけの車や、市中心部から郊外へ早く抜けたい車などを受け持ち、都市内の交通混雑の緩和を図ります。また、一般部は、臨海部の市街地を連絡し、沿線市街地から発生する交通を受け持ち良好なまちを形成する道路としての役割を果たします。』と事業目的を広島高速道路公社の資料が紹介しています。
2006年黄金山から下にこの宇品大橋を撮影しました。そして宇品橋も遠目でしたが見えましたので撮影しました。また、この宇品大橋の先にプリンスホテルが見えていたというのにプリンスホテルの方から撮影する事はなかったのですが、2010年になりましたが、撮影しましたので画像を追加しました。
2015年被爆70年に金輪島に建立の金輪島原爆死没者慰霊碑も巡ったのです。
過去に連絡船で金輪島に渡ったこともあるのに、海側(南側)から撮影することもなかったのですが、この時は帰りの連絡船の中から撮影しましたので、この頁に画像を加え更新しました。
2022年暮れ息子運転の車の中から撮影したので、頁を更新しました。
23.08.20.更新    06.05.09裕・編集
関連頁 宇品橋

06.03.11撮影
広島市南区仁保沖町と宇品海岸3丁目を結んでいる広島高速3号線の一部が宇品大橋です

06.03.11撮影
黄金山から宇品大橋をみました。前方が元宇品で、もやっていましたがプリンスホテルが見えました

06.03.11撮影
金輪島への連絡船から撮影

10.09.23撮影
元宇品プリンスホテル附近(≒南西方向)から宇品大橋をみました。(後ろ側が黄金山です)

15.10.04.撮影
金輪島連絡船の中(≒南側)から宇品大橋をみました

15.10.04.撮影

15.10.04.撮影
宇品側から仁保への車の中から撮影
『リベットは支圧接合になり昔はそれしか使ってなかったが、昭和50(1975)年頃から摩擦接合に変わったので現在では高力ボルトを用いている。』と土木技師の息子に教わったのです。
リベット頭に見える構造用トルシア形高力ボルトで、高力六角ボルトと(リベット頭に見える)高力TCボルトがあることで、この橋には高力TCボルトが使われているようです。
建築屋の端くれだったわたしは鉄骨造建物の施工に複数回携わり、既に高力ボルトしか使用しない時代だったのですが、車の中からみたこの宇品大橋の接合部の頭がリベット頭だったのでリベットかなと思ったのですが。
〔子どものころ、(地上で)焼いたリベットを上にいる職人へ向けて(火箸)のような道具で投げ上げ、上にいる職人がジョウロ形器で受け取り、ガタガタと大きな音を立て機械で焼けたボルトを押しつぶす作業を興味深くみていたのです。〕
2023年になって息子運転の車でこの橋を渡っていた時、リベットの話しをしたら、六角頭だけではなく、リベットにみえる頭の高力ボルトがあることを教わったのです。
知らなかったとはいえ鋼構造接合に関してからも考えず恥ずかしい見立をしていましたので訂正ともども追記しました。
23.08.20.更新

22.12.31.撮影
南道路走行中車中(≒西側)から宇品大橋をみました

22.12.31.撮影

22.12.31.撮影
リベット接合のように見えましたので拡大してみました
リベット頭にみえる高力TCボルトというものがあるのでリベット接合ではないと息子に教わりました

22.12.31.撮影



「広島の橋」編 広島ぶらり散歩へ


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