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安佐北区安佐町飯室と安佐町毛木を結び太田川に架かる「壬辰橋」です。
※橋長:167.9m、幅員:8.6m。竣工1974(昭和49)年〔甲寅きのえとら〕。市道安佐北4区27号線。 |
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壬辰という橋名を知った時、(わたしは)干支でいう壬辰(みずのえたつ)を思ったのです。
そうです、壬辰の年に架橋されたことでこの名を橋名として採用されたのかと思ったのです。 |
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この橋に関わるであろう明治期からこんにちに至る壬辰の年を調べてみると、
1892(明治25)年、1952(昭和27)年、2012(平成24)年でした。
広島県地名辞典を引くと飯室村には1912(大正元)年37艘の川船があったとありましたので、明治期に橋が架かっていたとは考えにくく、(後に橋が架かったここには)渡し船があったのではと考えました。
また、2012(平成24)年に架橋したとは考えにくいほど橋の手すり部分には錆が出ていました。
この様なことで、戦後1952(昭和27)年に架橋されたことでこの名が付けられたのではないかと(わたしは)推理しましたが、その時の橋が現在の橋とは考えにくく、後になって架け替えられたのが現在(2代目?の)壬辰橋ではないかと思ったのですが、確証はありませんが。 |
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この橋の竣工年は、わかりませんが、2006(平成18)年3月に橋台、橋脚のクラックなどをアイゾールEX工法で広島市の発注で極東工業(株)が施工したそうです。 |
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安佐北区安佐町久地に建立されている「久地村忠魂碑」、安佐町小河内「小河内地区戦没者慰霊碑」を息子運転の車で訪ねた帰り道に、太田川に架かる橋々を撮影したのですが、その時は撮影していなかったのです。
安佐町後山に建立の「日浦地区戦没者慰霊碑」を訪ねた時に、足を延ばして(広島自動車道)太田川橋とこの壬辰橋を撮影しましたので、この頁を編集しました。 |
16.09.18.裕・記編集 |