うがおうはし
宇賀大橋

  安佐北区安佐町小河内(あさちょう・おがうち)と安佐町久地(くち)を結び太田川に架かる「宇賀大橋」です。
橋銘板は、うがおおはしではなく“うがおうはし”ですのでそれをこの頁では採用しています。
※橋長:140.5m、幅員:2.2m。主スパン:吊り橋、RC主塔から橋台間は鋼桁橋の3径間。
※竣工:1953(昭和28)年。広島市市道安佐北4区304号線。
補修工事がはじまったばかりのようでした。撮影日5月6日は平日でしたが休工のようでした。
橋りょう補修工事:傷んだ塗装を塗り替えています  
工事期間:令和4(2022)年5月から  令和5(2023)年1月4日まで  時間帯:8:00~17:00
工事名:安佐北4区304号線(宇賀大橋)橋りょう補修工事(3-1)
請負金額:5,751万円
1898(明治31)年10月1日郡制施時行(旧沼田郡)安佐郡久地村、小河内村。
1955(昭和30)年3月31日鈴張村+飯室村+小河内村+日浦村+久地村=安佐町が発足。
1971(昭和46)年5月20日安佐町が広島市に編入。
1980(昭和55)年4月1日広島市政令指定都市で、安佐北区安佐町。
この宇賀大橋竣工年が1953年ということはまだ安佐町ではなく久地村、小河内村時代ですね。
いままで、太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたが段取り良くスムーズに撮影出来たのでした。
今(2022年)回は上記のように上流側から撮影してきましたので、この宇賀大橋が最後の撮影橋でした。
県道177号を走って来ましたので、西南側から撮影がはじまりました。
橋に進入口床に“ゆっくり”と書いてあり主塔には“最徐行”とありますが、撮影中結構なスピードで渡る軽自動車を撮影しました。息子曰く、さすが地元の人なのだろう(から)橋事情が解っての走行だろうと云っていたのでその画像は掲載しないことにしました。
 22.05.11.裕・記編集

22.05.06.撮影
広島市安佐北区安佐町久地と安佐町小河内とを結ぶ宇賀大橋をみました

22.05.06.撮影
≒西南側(久地側)から宇賀大橋をみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
県道177号を跨いでアンカーされています

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
 
一車通行3.5m 最徐行1.0t
通行人のある場合進入禁止
う迂回路のご案内 

22.05.06.撮影
補修(塗装塗替)工事用吊足場がありました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
うがおうはし 宇賀大橋

22.05.06.撮影
木製床板(腐れが大きい部分は上から塗装合板を打ち付けていました)

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
一車通行3.5m 最徐行1.0t  通行人のある場合進入禁止

22.05.06.撮影
橋りょう補修工事(塗装塗替工事)。〔ワイヤーは平成30(2018)年5月塗替られています〕

22.05.06.撮影
吊りワイヤーのアンカー部分をみました

22.05.06.撮影
主塔から橋台間は鋼桁橋になっています

22.05.06.撮影
小河内側河川敷には“小河内第二老人運動広場”が整備されていました

22.05.06.撮影
吊り橋部分を見上げました



   (太田川)
(廃線可部線)第六太田川橋梁
(中国自動車道)中国太田川橋
砂ヶ瀬橋
筒賀橋
向光石橋
吉ヶ瀬橋
(廃線可部線)第五太田川橋梁
安水橋
津伏橋
(廃線可部線)第四太田川橋梁
程原橋
安野橋
(廃線可部線)第三太田川橋梁
(廃線可部線)第二太田川橋梁
追崎橋
(廃線可部線)第一太田川橋梁
宇賀大橋
野冠橋
大川橋
長沢大橋
長沢橋
壬辰橋
(広島自動車道)太田川橋
共栄橋
筒瀬橋
安佐北大橋
新太田川橋
太田川橋
可部線太田川鉄道橋
高瀬大橋
安佐大橋
(山陽自動車道)太田川橋
安芸大橋
祇園新橋
広島の橋」編



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