(廃線可部線)第四太田川橋梁

  広島県山県郡安芸太田町穴と広島市佐伯区湯来町下を流れる太田川に架かる廃線可部線の「第四太田川橋梁」です。
※2003(平成15)年12月1日廃線になったJR可部線安野
(やすの)駅~水内
(みのち)駅間にあった鉄道橋です。
※上路ガーダー桁橋です。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、穴村+坪野村=山県郡安野村が発足。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、和田村+下村+麦谷村=佐伯郡水内村が発足。

1954(昭和29)年3月30日国鉄:布駅~加計駅延伸。安野駅、水内駅も開業。

1956(昭和31)年9月30日安野村+加計町=新しい加計町。
1956(昭和31)年9月30日上水内村+砂谷村+水内村=(佐伯郡)湯来町が発足。
1987(昭和62)年4月1日国鉄民営化でJR西日本。
2003(平成15)年12月1日廃線。

2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町。
2005(平成17)年4月25日湯来町は広島市に編入されました。
太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたがスムーズに撮影出来たのでした。
今(2022年)回は上記のように上流側から撮影してきましたので、この(廃線可部線)第四太田川橋梁も第六橋梁、第五橋梁と同じ上路ガーダー桁橋でしたので、廃線可部線に架かっていた鉄道橋は上路橋なのだと思ったのです。
しかし、この後撮影した下流の鉄道橋の中の第三橋梁、第一橋梁が下路ガーダー桁橋でしたので、如何なることで上路、下路が決定されたのかと頁を編集しながら思っているところなのです。
ご存知の方のご教授願えたら幸いです。
 22.05.28.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町穴と佐伯区湯来町下を流れる太田川に架かる(廃線)第四太田川橋梁

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
鉄道橋中央側は雑木が視界を妨げていました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
上路ガーダー桁橋には枕木は撤去されていません+跳出点検通路

22.05.06.撮影
振り返って線路跡をみました

22.05.06.撮影
暗橋が撤去されたと思われる可部線跡
  関連頁:(わが町にある山陽本線下の暗橋)山陽本線・暗橋



   (太田川)
(廃線可部線)第六太田川橋梁
(中国自動車道)中国太田川橋
砂ヶ瀬橋
筒賀橋
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吉ヶ瀬橋
(廃線可部線)第五太田川橋梁
安水橋
津伏橋
(廃線可部線)第四太田川橋梁
程原橋
安野橋
(廃線可部線)第三太田川橋梁
(廃線可部線)第二太田川橋梁
追崎橋
(廃線可部線)第一太田川橋梁
宇賀大橋
広島の橋」編



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