つぶしはし
津伏橋

  広島県山県郡安芸太田町坪野と広島市佐伯区湯来町下を結び太田川に架かる「津伏橋」です。
※橋長:107.5m、幅員:7.1m。主スパン:アーチ橋(ランガー橋)、(副スパン)コンクリート桁橋の2径間。
国道191号に出やすいように隅切部を造る為に副スパンを設けているようです。
※竣工:1969(昭和44)年8月。広島市市道佐伯5区37号線。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、穴村+坪野村=山県郡安野村が発足。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、和田村+下村+麦谷村=佐伯郡水内村が発足。

1956(昭和31)年9月30日安野村+加計町=新しい加計町。
1956(昭和31)年9月30日上水内村+砂谷村+水内村=(佐伯郡)湯来町が発足。

2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町。
2005(平成17)年4月25日湯来町は広島市に編入されました。
太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたがスムーズに撮影出来たのでした。
川の氾濫で、橋の流失を考えたとき橋脚がない橋が望ましいのは、先の西日本豪雨でわが町を流れる瀬野川の4橋が倒壊、流失したところをみたのでわかるのですが。
この津伏橋のアーチを見たとき橋脚がない橋が造られたのだなと思ったのですが、(目が悪いわたしですのでよくよくみると)国道191号側(左岸)側に橋脚があったのです。
吊り橋の吊りワイヤーのアンカーの問題ではないことはアーチ橋からわかる事でしたが、近くに行って国道に出やすいように隅切部分を設けるのに2径間になったのだろうとわたしなりに理解したところでした。
 22.06.06.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町坪野と佐伯区湯来町下を結び太田川に架かる「津伏橋」

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
国道191号側には隅切部分が設置されています

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
 
隅切部分はコンクリート桁橋になっています

22.05.06.撮影
1969年8月 広島県湯来町建造 二等橋 製作(株)駒井鉄工所

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
津伏橋 つぶ志はし

22.05.06.撮影
昭和44年8月竣工

22.05.06.撮影
≒南側からみました

22.05.06.撮影
(有)沖田砂利「ダンプは一台ずつ渡る」

22.05.06.撮影
湯来町側上流側からみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
湯来町側アーチ端部納まり部分をみました

22.05.06.撮影
湯来町側下流側からみました

22.05.06.撮影
≒東側からみました

22.05.06.撮影



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