向光石耕地整理記念碑

  広島県山県郡安芸太田町中筒賀の向光石橋南詰の処に建立されている「向光石耕地整理記念碑」です。
碑の後側には、大正時代に整理された農地が広がっていますが、休耕地が見えるのが現代なのでしょうか?
耕地整理とは
・広義には耕地区画の整理(長方形の1反歩区画が標準)、用排水路・農道の整備、暗渠(渠排水事業、土質改良(客土など)、交換分合による耕地集団化、開墾等を含む土地改良事業と同義です。
・(通常使われている)狭義の耕地整理とは、
1880(明治13)年頃から地主によって進められた“田区改正”に始まり、
1899(明治32)年に制定された「耕地整理法」〔1909(明治42)年に大改正される〕に基づいて実施された事業を指しています。
同法の目的は、従来の耕地条件の不備を改めて生産力を高めるために、国の補助・融資の下に進めることにあり、土地所有者による単純な共同施行から耕地整理組合という法人によって施工されるようになりました。
  1914(大正3)年4月6日に着手した“向光石耕地整理”は上記のような時代背景があったことでしょう。
(漢文でなく)ひらがな文字の記念碑なのに日本人であると思っているわたしには、
碑文の出だしから読めないので、わずかに分かったところを(下欄)書き出してみることにしました。
・大正3年4月6日着手し釣樋を架け水路を開き一町八反有餘・・・・・開墾した
 〔1町8反(5,400坪):1町(≒9,917㎡)+8反(≒7,934㎡)≒17,851㎡〕
・其上に鉄の釣(吊)橋をかけ渡し交通不便を一掃した
・三年後の11月9日完了・・・總計費三千一百餘(圓)であった
・百年の大事業をなし遂げ得ん生産力は倍増を収益が□□めでたきを将来倍々發展せん石文たてゝ功労を千歳の末に傳えんと後輩・・(9文字)・・・
当初・わたしがわからないままの解釈
  太田川 あらんかぎりは □□□
   めぐみにひ(み)ちん にひ□のをた
                 朽庵
※神奈川のHさんにご教授(下記)を受け勝手な解釈
 太田川 あらんかぎりは いそうなり
  めくみにみちん えじりのせた
                 朽庵
神奈川のHさんに無理無理お尋ねし、読み下してしていただきました。
  太田川 あらんかぎりは(に) いそうなり
   めくみにむじん えじりのせた
と読み解いてみました。
「居惣」は無理矢理読んでいます。惣=村なので、村人がいる村と解釈。
「む知ん」は無尽と解釈。
「江じ里」は江尻と解釈。江は大きな河川で、その河川の行き止まり、江の奥の意味です。「じ」は私の勘です。
「世田」は瀬田と解釈。内陸部の山間や丘陵地等の谷地の田んぼ(たいてい小さな田)という意味です。
【訳】太田川流域はみな村人が暮らす村です。その恩恵は尽きることがなく山間の小さな田んぼを豊かに潤している。
【私の読み下しの問題点】
1)「あ羅んかき里皆」は8音あって字余り。
2)「居惣」という言葉はネット検索しても、手持ちの辞書にもありません。
3)無尽は、江戸時代からある村内金融の一種。
 でも広島県内の農村でもこの言葉が使われていたか私には分かりません。
4)当地はGoogleマップで見ても太田川の中流域で江尻というほどの地形ではないかと思われます。
漢文の碑なら最後に漢詩が刻まれるのでしょうが、
ひらがなのこの碑の最後は、“朽庵”という人の短歌が刻まれていますが、
歌心もない情けないわたしですので、読み下せなかったので□を入れて紹介することにしました。
  小作人が農地改革で一掃された、戦後の土地区画整理などとは違い、
ここで取り上げた、耕地整理記念碑は、
地主のための耕作地の整理事業で、小作人の為ではなかったことは心にとめる必要があるのではと思っていますが。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、中筒賀村+上筒賀村=山県郡筒賀村が発足。
1956(昭和31)年9月30日安野村+加計町=新しい加計町。
2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町。
太田川に架かる橋々を撮影してきて、ここ向光石橋を撮影していた時、右岸近くに石碑を見たのです。
近づいてみると側面に「向光石耕地整理記念碑」とあったので撮影しました。
向光石橋の頁は1年も前に編集しているというのに、この碑の頁は、最初に記述したように、ひらがなであるのにさっぱり読めないのです。
読めた部分は僅かですが、着工から竣工、費用がわかるからいいかと不十分な内容ながらいまになりましたが編集完としました。
しかし、わたしには喉に引っかかった大骨・短歌の読み方がほしいと、体調不良でもあった神奈川のHさん(国文学の研究者ではなく単なる歴史好きの一般人と云われていますが)に無理無理お願いしたのです(上記)。
24.01.01.更新   23.10.13.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町中筒賀465附近 向光石橋根際

22.05.06.撮影
(石碑と向光石橋の位置関係)

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
(裏面) (表面)

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
(碑文) 朽庵の短歌  (大半が読めないわたしでした)

22.05.06.撮影
碑の後側すぐに休耕田

22.05.06.撮影
耕地整理をとどめているであろう水田が広がっていますが



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