ごみがせはし
砂ヶ瀬橋

  広島県山県郡安芸太田町津浪と安芸太田町中筒賀を結び太田川に架かる「砂ヶ瀬橋」です。
*漢字の橋銘板をみて
この橋の読み方を正確に答えられる方はほとんどいないのではと思うのですが。
※橋長:77.6m。1径間のワーレントラス橋。
※竣工:1974(昭和49)年3月。筒賀村(建造)
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、加計村+津浪村=山県郡加計村が発足。
1889(明治22)年4月1日町村制施行時、中筒賀村+上筒賀村=山県郡筒賀村が発足。
1898(明治31)年2月10日加計村が町制施行して加計町となりました。
2004(平成16)年10月1日加計町+筒賀村+戸河内町=山県郡安芸太田町。
太田川に架橋の橋々を祇園大橋から上流側へ野冠橋まで撮影して編集してきました。
今(2022年5月)回は、息子が考えてくれた、志和ICから山陽自動車道に乗り、中国縦貫自動車道・加計スマートICで降りて“(廃線JR可部線)第六太田川橋梁”から下流側の橋々を撮影しながら野冠橋の上流側“宇賀大橋”まで17橋を撮影していこうと提案してくれたのです。
妻が乗っていたわが家の軽自動にはETCがなかったのでこの計画自体が出来なかったのですが、軽自動車のように狭いところが走れないからとは云われていましたが、老人のわたしには疲れましたがスムーズに撮影出来たのでした。
ごみがせはし」橋銘板をみたときまさかと思ってしまいました。
帰宅後、目を悪くしてとんと引かなくなった“新漢和中辞典”の“砂”を引いてみましたが、『㊀スナ。イサゴ。ごくこまかい石つぶ』で、ゴミとの読みはないので当て字ではあるのでしょうがまず読めないな~と思いました。
それでは広島県地名辞典ではと引きましたが“砂が瀬”自体がありませんでした。
橋を下から撮影するかと下りた処で、
堤防壁に
『和51年9月洪水あと』と橋下端すれすれまでのようにみえた『昭和47年7月洪水のあと』の標識が取り付けてありましたので撮影しました。
水害の記憶を忘れないようにとの配慮でしょう。いい事だな~と思いました。(今回他の橋の回りを丁寧に見たわけではなかったのですが、洪水跡の標識は、ここだけでした。)
 22.06.17.裕・記編集

22.05.06.撮影
山県郡安芸太田町津浪と安芸太田町中筒賀を結び太田川に架かる砂ヶ瀬橋

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
国道191号側(左岸側)からみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
 
砂ヶ瀬橋 ごみがせはし

22.05.06.撮影
〔竣工板〕
砂ヶ瀬橋。1974年3月。筒賀村。道示(1973)二等橋。使用鋼材:SM50YA
(など)。製作:高田機工株式会社

22.05.06.撮影
右岸側からみました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
右岸側下流側をみました

22.05.06.撮影
昭和47(1972)年7月豪雨 最大時間雨量40.0mm。広島県でも死者・行方不明者39人。
昭和51(1976)年9月台風17号 県東部で集中豪雨が発生。死者14人、行方不明2人。

22.05.06.撮影
トラス橋をみあげました

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影

22.05.06.撮影
下流側・左岸側からみました

22.05.06.撮影
遠く:中国自動車道中国太田川橋梁       手前:砂ヶ瀬橋



   (太田川)
(廃線可部線)第六太田川橋梁
(中国自動車道)中国太田川橋
砂ヶ瀬橋
筒賀橋
向光石橋
吉ヶ瀬橋
(廃線可部線)第五太田川橋梁
安水橋
津伏橋
(廃線可部線)第四太田川橋梁
程原橋
安野橋
(廃線可部線)第三太田川橋梁
(廃線可部線)第二太田川橋梁
追崎橋
(廃線可部線)第一太田川橋梁
宇賀大橋
広島の橋」編



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