広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式他 |
HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY |
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平成14年(2002年)8月6日 |
August 6,2002 |
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今(2002)年は平和記念公園に行ってきました、広島市民でありながらはじめて(通称)平和式典に出席したのですわたしは。
各地区建立の慰霊碑では、それぞれに慰霊式を行ったり既に終ったり、今からだったりしていました。その中に「廣島市立高女原爆慰霊碑」があります、その慰霊碑の中のレリーフの少女が持っている箱には、原爆慰霊碑という文字が使えなくて「E=MC2」と刻まれています。碑建立当時は連合軍占領中で「原爆」という文字はプレスコードを布いていた事から使用できなかったそうです。それほど連合国(主に米国)は、(世界の人々が)原爆を使用した事で起こった惨禍の大きさを知り、そしてそれによって起きるであろう批判の声の発信を恐れていたのではないのでしょうか?今でも米国の市民が原爆の惨禍を知らないといわれています、事実を知ればと思いますが・・・・
平和記念公園を歩いただけで疲れてしまいましたが、わたしは各地区の慰霊碑を廻りたかったのです、離れた所では幟町の慰霊碑、国泰寺町の鎮魂碑を廻るだけでしたが、近くの大手町第1公園では革労協が独自の平和集会をやっていました。色々な8月6日をわずかに感じたのですが・・・
わたしは、小泉首相の挨拶と秋葉広島市長の平和宣言に平和に対する温度差を感じました。
J.F.ケネディー元米国大統領の「全ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのは互いの違いに寛容である事」との言葉を引用していました。そして、宣言の中で「他の全ての国と同じように戦争の出来る普通の国にしない事です」といっていました。
日本こそが全世界に向けて核兵器廃絶を訴えなければならない重い重い歴史を背負っているとわたしは思っています。 |
02.08.06裕・記編集 |
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