広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式他 |
HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY |
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平成15年(2003年)8月6日 |
August 6,2003 |
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今(2003)年も平和祈念式式典があった平和記念公園に行ってきました。
『・・・・戦後一貫して世界平和実現に向けて取組んできた市民の願いは‘ヒロシマ’の名前と共に世界中の人の心に届いていますヒロシマは世界平和を考えるシンボルとなり毎年多くの人々がこの街を訪れています。これからも、平和を希求する多くの人々を引きつける都市であるよう祈念します』三年連続平和祈念式典に出席した小泉首相の挨拶の言葉の最後の部分です。 |
日本国の代表である当の本人である小泉首相の心に届いていない「廣島の願い」をどう考えているのでしょうか?
式典後の短い記者会見で「米国追随の姿勢にヒロシマからの非難の声が上がっています」との記者の問いに「見解の違いであり、米国に協力することが日本の平和を確保することに極めて大切」と語気を強めて述べたと報道で知りました。“約束よりも大切な事がある”という考えが根底にある人のうわべだけの挨拶の言葉だったな〜と私は思っています。 |
被爆した、私の下の兄貴でさえもう還暦を過ぎています、お袋にいったては90を過ぎています・・・被爆者の高齢化を嘆いても仕方ない事で若い世代へ受継いで 行かなければならない事は広島市民わかってはいるのでしょうが・・・
政治的、思想的違いで2つの反核運動がある事が被爆者の気持ちを萎えさせてきた事が厳然として存在していた事は平和運動の悲劇でしかなかったのですが、それを乗越える若い息吹が本年3月2日イラク戦争に突入しようとする米国への世界へのメッセージであった「NO WAR NO DO」の人文字等に芽生えてきたのではないかと思っているのです。 |
核兵器のない21世紀を造って行くのは年寄の硬直した平和運動ではなくて(原爆関連慰霊碑の撮影に行った処でよく質問される貴方は何者?肩書きは?と言う意味であろう問いにあう私は)肩書きにとらわれない“平和を願う”という一点で集結できる若い力が中心にならなくてはと思っているのです。 |
03.08.06 裕・記編集 |
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