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今(2004)年も暑い日でした。空席が目につく平和祈念式式典会場の折りたたみ椅子に坐っていても汗が出てきました。 |
来(2005)年の被爆60年までを、核兵器のない世界の実現に向けた「記憶と行動の一年にする」との力強い平和宣言2004年を表明する秋葉広島市長・・・・市民個々が心に受け止めたのではと思いました・・・ |
昨(2003)年につづいて小さな声で弱々しく棒読みで挨拶の言葉を述べていた小泉首相、その挨拶の言葉を聞きながら、見解を異にする国民(広島市民と言い換えてもいいかもしれませんが・・)への説明が出来ていないあるいはしない人だな〜と思いました。見解の違い、人生いろいろとろくに説明をしてこなかった人だからかもしれないと・・・
私は(間接的とはいえ)選挙で多数を得て総理大臣に選ばれている事はわかってはいるのですが、人類史上唯一の被爆国の首相として「平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する」と小さな声でもいう日があるということは式典に欠席するより出席する方が(とんぼ返りでも)いい事なのだと納得しようとしました。 |
しかし、挨拶を聞きながら情けないことだと思った私は(選挙では)少数派、私は昨年一昨年にはなかった目からも汗がこぼれ落ちました。お袋が被爆した子どもで広島市民だからかもしれないと・・・自分が出来ることはと考えながら・・・ |
04.08.11追記 04.08.06裕・記編集 |
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