被爆60周年 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式にて |
HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY |
|
平成17年(2005年)8月6日 |
August 6,2005 |
|
|
|
|
今(2005)年も暑い日でした、途中雲がかかり日陰になる時はあったのですが・・
空席が目についた昨年と比べ被爆60年という節目なのでしょう、(市発表では)昨年より1万人多い5万5千人もの人々が集まったそうです。 |
向こう一年を、「継承と目覚め、決意の年と位置付ける」との平和宣言を表明する秋葉広島市長心なしか力強さが影をひそめたように(平和宣言を聞きながら)わたしは思いました。
今年5月のNPT再検討会議で、なんら具体的な成果がなかったことへの落胆からか、核軍縮の展望が望めない国際情勢を批判する事は必要な事ではあるのですが・・・ |
小泉首相、ことしは声だけは大きく読み上げましたが内容的には昨年同様低調で心がこもったとは決していえない挨拶の言葉だったとわたしは感じました。また、式典終了後すぐ福山市の中川美術館へ中国美術品を鑑賞に向かったそうで、昨年同様被爆者との対話は厚生労働大臣に任せきりであったと・・ |
『人類と核兵器は共存できない。わたし達、日本人にはこの事を世界に訴える使命があります』と述べた河野衆議院議長の挨拶の言葉には会場から大きな拍手がありました、力ないわたしも拍手を惜しみませんでした・・・ |
|
|
BBC英国放送協会が宇宙中継を・・・ |
|
|
05.08.10追記 05.08.07裕記 |
|
|
05.08.06撮影 |
2005年8月6日午前8時15分黙祷・・・ |
|
河野洋平衆議院議長挨拶の言葉(大要) |
ここ平和記念公園の慰霊碑にある『過ち』とは何なんでしょうか?
一つは、日本が明治維新以後、原爆投下の日までアジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことです。
我国には「アジア諸国の独立と民主主義の戦いに連帯する」という選択肢があったにもかかわらず実際歩んだのは欧米列強と同じ帝国主義の道でした。その帰結の一つが原爆投下だったのです。
わたし達が繰り返していけないもう一つの『過ち』は核兵器という非人道的な兵器を同じ人類に対し使用した事実です。
『人類と核兵器は共存できない。わたし達、日本人にはこの事を世界に訴える使命があります』 |
|
05.08.06撮影 |
挨拶の言葉を述べる河野洋平衆議院議長 |
|
|
05.08.06撮影 |
05.08.06撮影 |
一時暗雲が会場上空に・・ |
熱中症対策用のテントが4000席に増えた式典会場 |
|
|
|
被爆60年ということからか、平和記念公園附近では例年以上にいろいろな催しが行われていました。元安橋東詰で影絵が展示されており、その色合いに引き込まれてしまいました・・・HPに掲載することを作者の浜崎ゆう子先生にお願いしたのです。 |
05.08.06撮影 |
|