広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式にて
HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY
平成19年(2007年)8月6日
August 6,2007
今(2007)年も暑い日でしたが、早朝雨が降りアスファルト道路が濡れているという朝でした・・・
平和祈念式典中は曇っていましたので昨年などに比べれば幾分楽ではありました。
  初代防衛相の「長崎に(原子爆弾を)落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」という核兵器使用容認とも云える発言に被爆者はもとより広島市民の危機意識が大きく反映した「平和宣言」ではなかったかと・・・また、秋葉忠利広島市長が政党の推薦を受けずに圧勝で三選をはたした今(2007)年4月の市長選挙だったことからか、平和宣言の中で「・・・21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。・・・」と自信をもって宣言していたように思いました。
一般席前の方に行って空席を見つけ座ると、(わたしの簡単デジカメと比べるまでもない立派な)一眼レフデジカメで式典を撮っておられたご婦人が、隣の席(その隣にご主人、お孫さんたちが後ろの席でした)におられたのです。
式典が終わってから「平和宣言中の秋葉市長はっきり写ったでしょうね」と話し掛けたのです。それからいろいろ話していくうち、ご自身の被爆体験の話をされそれを聴いていると「被爆時に米軍機から原爆の威力を測定するため投下されたゾンデ3個が不発弾騒動になり多くの住民が避難させられた。・・・」のですよと話されましたので、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会の10号碑」を昨年みてわたしははじめてその事を知ったのですと云うと、あの絵はわたしが描いたものですといわれ、名前は云われませんでしたが帰宅後その頁をみて新澤慶子さんだと思いました。
また、わたしは「広島ぶらり散歩」というHPを作っています、10号碑も掲載させていただいていますのでよければ見てやってくださいと話したら、3列くらい前にいた女性がわたし「広島ぶらり散歩」みましたと声をかけてくれました、みてもらっているんだとうれしく「ありがとうございます」とお礼を云いました・・・式典後に被爆体験の一端でも話を聴くことができた被爆62年の(通称)平和記念式典でした。
  式典後平和記念公園周辺元安川河畔をぶらり散歩しました。
第18代粟屋仙吉広島市長が被爆して亡くなった被爆市長公舎跡、南方特別留学生が住んでいて被爆した興南寮跡などを訪ね、頭を垂れました。
石炭関係原爆殉難者慰霊碑が建立されている大手町第一公園では社青同解放派が独自の平和集会を催していました。式典挨拶で「今後とも、憲法の規定を遵守し・・・非核3原則堅持していく・・・」と述べた改憲論者・安倍首相をみましたし、それぞれの日本人がそれぞれの価値観で平和を語ることが出来るそんな事も僅かに感じた2007年8月6日原爆忌でした。
07.08.13追記    07.08.11裕・記編集

07.08.06撮影
2007年 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

07.08.06撮影

07.08.06撮影
8時15分黙祷・・・    (平和記念資料館屋上から式典報道していた関係者も?・・・)

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式辞:藤田博之市議会議長 平和宣言:秋葉忠利市長 平和への誓い:こども代表

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あいさつ:安倍晋三内閣総理大臣 総理退出 (車が会場中まで入り)

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石井竜也作品:GROUND ANGEL 2007 “ANGEL CHIME” 社青同解放派;8・6広島反戦集会(大手町第一公園にて)



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