広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式にて
HIROSHIMA PEACE MEMORIAL CEREMONY
平成23年(2011年)8月6日
August 6,2011
  昨(2010)年の通称・平和記念式典は、オバマ米国大統領の核兵器廃絶のプラハ演説を反映してルース駐日大使が米国代表として、またパン・ギムン(潘基文)国連事務総長が国連事務総長として、はじめて式典に参列したことで、核兵器廃絶への国際的な機運の高まりを感じた通称・平和記念式典でしたが、
今(2011)年の通称・平和式典は、やはり3月11日東日本を襲った地震とそれに続く津波による大災害の深刻さ、そして福島第一原子力発電所の大事故で放射能汚染が深刻化してきている事、また、米国の新型核(兵器性能)実験及び事前公表なしで臨界前核実験を繰り返し実施した米国の核兵器廃絶施策の後退と思わせる状況に対する失望感などがこの通称・平和記念式典に色濃く反映しているように(わたしは)思いました。
被爆66年目の日本国に再びヒバク(被曝)者をだすという事態に原発について(わたしは)考え続けています。
爆心地から約1800mで被爆したお袋から生を受けたわたしは、核兵器の廃絶を願ってきましたが、核廃絶とは云ってきていませんでした。わたしは原発を専門的に勉強してきたわけではありませんので、原発の(教え込まれた)安全を信じ、また、技術者としてわたしは技術の進歩発展を信じていたからでもあったからです。
自民党、公明党はもともと原発の安全神話を作ってきた責任があるのに、それを忘れ総理大臣を批判ばかりしており、総理大臣は、市民運動の小さな組織で批判ばかりしていた過去から脱却できず、組織(国)を動かすことができず、個人的見解ということで相手にされない情けなさをさらしているのに、恥じていない総理大臣失格者とわたしは思います。
それらを報道している報道機関も、中国の新幹線の不備による事故をここぞとばかり報道しています、福島第一原発の大事故が起きたはじめの頃は御用学者ばかりを引っ張り出して、報道の多くはいまの深刻化する放射能汚染のことなどはおくびにも出さなかったのですから、他国のことは云えないのではと思ったりします。
しかし、それらのわたしの批判は、(肩書きは何もない、単なる広島市民のわたしですが)太平洋戦争に突入した時に戦争を支持した当時の日本人と同じなのではと(わたし自身へ)跳ね返ってくる‘やまびこ’なのかもしれません。
ことしは、早朝雨が降り、式典中は、暑い日ではありましたが、太陽が顔を出すことはほとんどなかった式典中でした。
新市長を迎えての通称・平和記念式典にしては、世界に訴えていく広島の力の限界を感じてはいけないのではと思いながら(わたしは)、例年のようにテントがない処の折りたたみ椅子に座りながら考えていました。
この拙い文章も完成形ではなく、今日編集した記事ということで、一応まとめましたので。
11.08.07裕・記編集

11.08.04.撮影
2011年広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式の準備中8月4日に撮影しました

11.08.06.撮影

11.08.06.撮影

11.08.06.撮影

11.08.06.撮影

11.08.06.撮影
平和宣言:松井一實市長 平和への誓い:こども代表 あいさつ:菅内閣総理大臣 あいさつ:湯崎広島県知事

11.08.04.撮影
日除けの大型テントが昨(2010)年よりも4張り多く(合計で)32張りが段取りされたそうです

11.08.06.撮影

11.08.06.撮影
原爆死没者名簿奉納(へ向かう)広島市長、遺族代表、(市職員) 原爆死没者(に対し自らの手で献花した)総理の花輪



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