ブーク・イェレミッチ第67回国連総会議長挨拶 2013年

  通称平和記念式典で配付されているパンフレットの中に挿めてあった(A4版の一枚の紙にいままでもあった国連事務総長のメッセージだけではなく裏面に久しぶりに今年は印刷されていた)『ブーク・イェレミッチ第67回国連総会議長あいさつ』を読んだとき、毎年表現は違っても国連事務総長の挨拶文のように通り一遍のあいさつの文章だな〜と思ったのです。
挨拶に登壇したイェレミッチ国連総会議長を遠くから見たとき、若い人だなと思い、挨拶を聞きながら独語でなく英語であるのでしょうが、どこか訛があるように思ったのです。
ブーク・イェレミッチ(1975-  )
セルビア共和国*外相(2007-2012)。ベオグラード市(セルビア共和国首都)出身。(英国)ケンブリッジ大学卒(理論物理学)。
ドイツ銀行財務アナリスト、ロンドンの薬品企業等勤務。2000年ユーゴスラビア連邦共和国電気通信相補佐官。2003年セルビア・モンテネグロ国家連合国防相補佐官。2004年セルビア共和国大統領上級補佐官(外交政策担当)。趣味:古地図の収集。
2006年旧ユーゴスラヴィア連邦の継承国として独立したセルビア共和国。
南東欧のバルカン半島に位置し、西と東の文化が融合した独特の雰囲気やスタリ・ラスとソポチャニ修道院の世界遺産などがあり、人口約750万人、大陸性気候の国。
言語:セルビア語。宗教:セルビア正教、カトリック、イスラム教等。
※資料は、国連広報センターの資料などを参考にしました。
通り一遍のあいさつの文章とわたしは浅はかにも思ったので、取り上げることもないかなと思ったのですが、翌日(8月7日)中國新聞の単独インタビューに答えたという記事をみて、38歳という若さ、セルビアの外相だったという経歴に目が留まったのです。
セルビアといえば(わたしは)詳しいことはわかってはいませんが、民族対立で崩壊したユーゴスラビア紛争を経験した国の出身者であることを知り、改めて読み直したあいさつ文の中の“平和とは”との言葉には経験からきたであろう力強さがあり、38歳といえばわたしの息子と幾歳も違わない若さで、外相を務め国連総会議長を勤めていることにこれからの世界平和に力を発揮する人物になるのだろうな〜と(わたしは)思いましたので取り上げました。
13.08.09.裕・記編集

13.08.06.裕撮影
挨拶中のイェレミッチ国連総会議長
ブーク・イェレミッチ第67回国連総会議長あいさつ
広島、2009年8月6日
御列席の皆さま、私たちは本日、人間の手によりもたらされた未曽有の大惨事の犠牲となられた方々を追悼し、被爆者の方々に連帯の気持ちをお伝えするため、ここに集いました。

原爆ドームの前に立つ誰もが、これまで使用された中で最も破壊的な殺戮兵器による攻撃に見舞われた広島、長崎の数十万のありとあらゆる人々の苦しみの大きさに圧倒されます。原爆は、空を切り裂く強烈な閃光を放ち、その後、キノコ雲が空高く広がり、埃や煤を伴った雲が街を覆いました。そして、火災が起こり、急速に広がった火の手は熱風の塊を生み、火の粉が街中に降り注ぎました。人間はそのような力の前ではなす術がありませんでした。被爆者たちの人生そのものが、知識や経験が、愛する人々が、そのすべてが失われたのです。
しかし、被爆者たちは、最悪の恐怖に見舞われた広島、長崎においても、最終的には生が勝つのだという信念を持ち続け、決して諦めることはありませんでした。
皆さま、被爆者の方々の不屈の精神と威厳があったからこそ、人類は核兵器のない世界の実現に向け努力し続けてきました。

国連はその創設時から、核兵器廃絶への取り組みを先導してきました。国連総会で初めて採択された決議は、核兵器ならびに「大量破壊兵器となり得るその他のありとあらゆる主要な兵器」の廃絶を求めるものでした。その後も、核問題は議案の優先事項であり続け、核実験禁止条約をはじめとするいくつかの重要な成果をもたらし、ここ数十年においては、核兵器の削減・不拡散の分野でも、進展を遂げてきました。それにもかかわらず、私たちは未だ人類滅亡という脅威に怯えながら暮らしています。私たちは引き続き、この平和への深刻な脅威に世界の注目を向けなければなりません。

私は、核軍縮に関する初の国連総会ハイレベル会合の議長を務めることを、光栄に思います。この会議は、国連決議67/39に則り、今年9月に開催される予定です。68年前の広島、長崎の悲劇が二度と繰り返されることのないよう、この会議が核兵器廃絶という目標の実現において大きな一歩となるよう願っています。
皆さま、ニューヨークの国連本部の事務所のそばにはバラ園があり、その入口には日本が寄贈した平和の鐘が置かれています。この鐘は、ここからほど近い場所で鋳造されたもので、世界60カ国の硬貨が使われており、その中には私の母国の硬貨も含まれています。平和の鐘は、伝統的な社(やしろ)形の鐘楼に吊るされています。表面には、厳かに一言「世界絶対平和萬歳」と刻まれています。この人類の強い願いを呼び起こす象徴として、毎年9月にこの鐘を突いています。

平和とは、単に敵意のない状態を意味するものではありません。
平和とは、二度と戦争を引き起こす状況にならないようにすることです。
平和とは、長年の恨みを克服する勇気、復讐心を捨てる意志、和解を達成する決意を持つことです。
被爆者の皆さまはこれまで長きにわたりこの大義を持ち続け、気高く歩んでこられました。努力することで、最愛の人たちの死に崇高な意味を持たせたのです。
また、この神聖なる場所を訪れた私たち一人ひとりは、この大きな課題の解決には今後何年もの時間を要するであろうと認識しつつも、新たな目的意識を持ち、この大義を持つ必要があります。私たちは、次世代の皆さまがこの大義が象徴するものすべてを受け入れ、一日も早くこの地球上に完全な平和が保たれる日へと導いてくれるよう願っています。

ご清聴ありがとうございました。
通称平和記念式典で配付されているパンフレットの中に挿めてあったあいさつ文転記しました。



平和記念式典関連頁・全体



広島ぶらり散歩へ
2013年平和記念式典へ


平和宣言 2013年
「平和への誓い」2013年
安倍晋三首相挨拶の言葉2013年
イェレミッチ国連総会議長挨拶2013年


inserted by FC2 system