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2016年の通称平和記念式典で、子ども代表による「平和への誓い」です。 |
広島市作成の式典式次第(パンフレット)の中に、この「平和への誓い」が掲載してありますから、(わたしは)式典前に読んでおいて、子ども代表が語りかけているときにまたパンフレットに目を落とすのです。 |
2016年のこども代表による「平和への誓い」を式典会場の簡易椅子に座り、平和宣言の次に読みました。
わたしは、既に人生の半分以上も費やした2000年ごろから原爆関連の慰霊碑を巡りだしたのですから、彼らが平和への誓いで云う『 昭和20(1945)8月6日午前8時15分の出来事を、
私たちは、もっと、知りたいのです。もっと、伝えたいのです。』の言葉にわたしには無い若さ、力強さを感じ羨ましくさえ思ったものでした。
2017年のいままで編集していませんでしたが、彼らの言葉に後押しされたかたちで編集することにしました。 |
17.08.10.裕・記編集 |
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16.08.06.裕撮影 |
こども代表、 青木君と 中奥さん |
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「人が焼けるにおいがした」
「ある者は、肌が溶けて人間には見えんかった」
原子爆弾が落とされた広島の様子を、語り部の方は語ってくれました。
思い出したくない、胸が張り裂けそうだ。
被爆された人の辛さは、いつまでも、いつまでも終わることはありません。
被爆者の思いや被爆の事実を自らの体験のように、想像するのです。
聞きたくても、聞くことができなくなる日が近づいています。
一瞬で街がつぶれ、日常や夢を踏みにじられた
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分の出来事を、
私たちは、もっと、知りたいのです。もっと、伝えたいのです。
悲しみや苦しみを乗り越えた人々の努力によって、
広島は青く澄んだ空の下、色とりどりの花が咲く街に復興しました。
この広島に、今年も、世界各地から、多くの人が訪れています。
あの日の事実を知るために、平和記念公園を巡り、平和記念資料館を見学し、
語り部の方の話を聴き、原子爆弾の恐ろしさを実感しています。
そして、「あの日の出来事を伝える」と約束してくれた人たち、
平和の広がりを感じました。
私たちは、待っているだけではいけないのです。誰が、平和な世界にするのでしょうか。
夢や希望にあふれた未来は、ぼくたち、わたしたち、一人一人が創るのです。
私たちには、被爆者から託された声を伝える責任があるのです。
一人一人が、自分の言葉で、丁寧に、
戦争を知らない人へ 次の世代へ 世界の人々へ
命の尊さを 平和への願いを 私たちが語り伝えていきます。 |
平成28(2016)年8月6日 |
こども代表
広島市立竹屋小学校6年 中奥垂穂
広島市立亀山小学校6年 青木優太
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通称平和記念式典で配付されているパンフレットより転記しました |
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