ぶつだんとおり
仏壇通り
  中区堀川町、銀山町の通り「(通称)仏壇通り」をこの頁で取り上げました。
※中区堀川町・銀山町の旧西国街道沿に多くの仏壇店が並んでいた事から「仏壇通り」と呼ばれていました。
※近年、仏壇店も少なくなり歓楽街となっていますが、いまも「仏壇通り」と呼ばれています。
今も残る町の名前、八丁堀・堀川町・流川町・薬研掘・・・・城下町廣島の名残であるのですが、現在は広島の(夜の)歓楽街として「流川通り」「仏壇通り」「薬研堀通り」の三つの通りがコの字となってあります。
歓楽街の中に仏壇店が軒を並べているこんにちですが、もともとはこの(旧・西国街道沿いの)仏壇通りには多くの仏壇造り職人たちが住み、 仏壇店も多く軒を並べていたと聞きます。
1978(昭和53)年に、広島仏壇が「伝統的工芸品」に指定されたのですが、その歴史は、室町時代からはじまった仏壇造りに、1619(元和5)年に浅野長晟(1586-1632)が紀州から広島に転封された時に、漆工職人たちが随従して高度な技と新技術が加わり、更に1716(享保元)年僧・敦高が京都・大阪で仏壇仏具の技術を学んで帰ってきたことで、広島仏壇の技術は確立されたといわれているようです。
 資料:広島宗教用具商工協同組合の公開資料を参考にしました。
2003年に撮影してこの頁を編集しました。
今(2009)年になって、「通り・街道」編・一覧の頁に加えようとしたので、わたしが利用している昭文社版「広島便利情報地図-街の達人」をみると「仏壇通り」ではなく「仏だん通り」と記述してありました。常用漢字ではないので平仮名まじりの表記になっているのかと思いましたので、追記しました。
2010年この仏壇通りを歩いた時、木村芳郎作「地の神さん」がビル前に展示されていましたので撮影しました(別頁で編集しています下段にリンクHRL)。
2019年9月西国街道だったこの仏壇通りに、広島市によって“西国街道デザインのマンホール蓋”が設置されましたので撮影し別頁で編集しました。
19.10.03.更新   03.12.13裕・記編集

03.10.30撮影
広島市中区堀川町1、2 (東から仏壇通り南側をみました)

03.10.30撮影

03.10.30撮影

03.12.10撮影

03.12.10撮影
我家の仏壇はここで購入しました 仏壇店がいまも軒を連ねています 仏壇通りを西側からみました 仏壇通りを西側からました
(ぶつだん)
仏壇:

(1)仏像を安置するために堂内に作られた壇。須弥壇(しゆみだん)
(2)位牌や仏像を安置するための仏具。主として木製の箱形で、正面は両開きの扉になっている。

(やげん)
薬研:

主に漢方で、薬種を砕き、または粉末にするために用いる器具。
細長い舟形をした、内側が V 字形の器の中に薬種を入れ、上から軸のついた車輪様のものをきしらせて薬種を押し砕く。くすりおろし。きさげ。

薬研掘: 内側がV字形の器が薬研をさすことから、V字の堀をいうそうです。
旧・西国街道: 近世には京都と長崎を結び、江戸へ続く主要街道で、山陽道の名でも呼ばれています。
17世紀現在の形にできた西国街道は、当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。これが基になって、今の国道2号になっているそうです。
-赤線東西通りが仏壇通りとよばれています。  - - -点線は旧西国街道です。



「通り・街道」編



広島ぶらり散歩へ
      (広島の仏壇通り関連)
(中区堀川町の)仏壇通り
 木村芳郎作品:地の神さん
 西国街道デザインマンホール蓋
(中区寺町)寺町通り


inserted by FC2 system