(平和大通り)供木運動・説明板

  中区小町3の平和大通緑地帯北側(中町の白神社前)に広島市が設置した「(平和大通り)供木運動・説明板」です。
※中区中島町2の平和大通緑地帯南側にも設置されている「(平和大通り)供木運動・説明板」です。
説明板の説明文(日本語)は下記です。 
平和大通り Peace Boulevard
平和大通りの緑豊かな木々は被爆直後に「75年間は草木も生えない」とも言われた広島の復興と平和の象徴です。
供木運動(きょうぼくうんどう)とは Tree Offering Campaign
平和大通りの整備が始まった頃の広島市は、財政難で思うように木が植えられませんでした。
そこで1956(昭和31)年から翌1957(昭和32)年にかけて(広島)県内の市町村に樹木の提供をお願いしたところ、多くの団体や個人から樹木や苗木が寄せられ、平和大通りをはじめ、公園や道路に植えられました。これが供木運動です。
平和大通りをはじめ、被爆後の広島が緑豊かな美しい街に生まれ変わることができたのは、平和を願う国内外からの支援と街の緑化に取組んできた人々への感謝の気持ちを未来へと伝えていきます。
広島市
平和大通り(概説)の頁を編集するのに参考にした資料の一つである中国新聞社発行「ひろしま通になろう」にある供木運動の時期とこの広島市設置の説明板とは違っていました。
2017年ことし最後の平和記念公園の広場、被爆アオギリの撮影を終えて、平和大通りで催されているドリミネーションを昼みても無粋なことと知りつつも少しばかり平和大通りを歩いてみようと思ったのです。
白神社前の被爆した樹木類が落葉してよく見えるようになったな~と思った時にここで取り上げた「(平和大通り)供木運動・説明板」をみたのです。
いままで、この説明板に気が付かなかったので、少なくとも昨年か今年設置されていた説明板ではと思いました。
コロナ禍の2021年西平和大橋東詰め南側緑地帯でも“供木運動・説明板”が設置されている事を知りました。
2017年編集頁には、説明板にある4枚の画像のうち2枚しか取り上げていなかったので、今回全4枚の画像を紹介し、再編集することにしました。
22.12.132.更新  17.12.27. 裕・記編集

17.12.23.撮影
広島市中区小町3-22     (中町の白神社前の平和大通り緑地帯北側です)

17.12.23.撮影

21.12.09.撮影
広島市中区中島町2-22     (平和大通り緑地帯南側です)
供木(きょうぼく)運動とは
平和大通りの整備が始まった頃の広島市は、財政難で思うように木が植えられませんでした。
そこで、昭和31(1956)年から翌32(1957)年にかけて県内の市町村に樹木の提供をお願いしたところ、多くの団体や個人から樹木や苗木が寄せられ、平和大通りをはじめ、公園や道路4に植えられました。これが供木運動です。

17.12.23.撮影

21.12.09.撮影
 

17.12.23.撮影
 
21.12.09.撮影
平和大通りをはじめ、被爆後の広島が緑豊かな美しい街に生まれ変わることができたのは、平和を願う国内外からの支援と街の緑化に取り組んできた人々の努力の結果であり、広島はこれらの記憶と多くの人々への感謝の気持ちを未来へと伝えていきます。



「平和大通り」編



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「植物」編


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