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山口市香山町に建てられている「瑠璃光寺」です。 |
保寧山(ほねいさん)瑠璃光寺は、曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。
室町時代、大内義弘(1356-1399)が現在地に香積寺を建立しました。しかし、義弘は1399(応永6)年応永の乱を起こし足利義満(1358-1408)に敗れて戦死しました。義弘の弟:大内盛見(1377-1431)が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始しましたが、九州の少弐氏・大友氏との戦いで1431(永享3)年に戦死しました。 ※五重塔はその後1442(嘉吉2)年頃に完成しました。
大内政弘(1446-1495)の家臣・陶弘房は応仁の乱で戦い、1468(応仁2)年京都・相国寺で戦死。弘房夫人が夫を弔うために1471(文明3)年吉敷郡仁保庄(現在・山口市仁保高野)に安養寺を建立しました。後に、寺領が狭いため隣山に寺を建て、弘房の持仏・薬師如来を移し、安養寺を廃して保寧山瑠璃光寺と号しました。
関ヶ原の戦い後、減封で萩に移った毛利輝元(1553-1625)が1604(慶長9)年に香積寺を萩に引寺したため、跡地に1690(元禄3)年仁保庄の瑠璃光寺を移転し、これが現在の瑠璃光寺です。 |
もう昔々になりましたが、1985年仕事の関係で(当時は吉敷郡)小郡町に住んでいたので、その時、国宝であるという瑠璃光寺五重塔のことを聞きみに来たことがありましたが、ここで取り上げたお寺の印象は薄かったのです。
2007年子どもが長崎に帰る時に、一緒にこの瑠璃光寺などをお参りしましたので、撮影はしていたのですが、随分時も過ぎた今になりましたがこの頁を編集しました。 |
12.02.17裕・記編集 |
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