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中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆したアオギリ」が二本あります。
※1945(昭和20)年8月6日被爆当時基町(もとまち)の広島逓信局中庭にあったアオギリです。 |
※2003年近くで(自然に)育っていたアオギリ二世が同じ柵内に移植されました。(近くで育っていた当時)
※2004年9月7日台風18号の強風で大きい方のアオギリが根こそぎ倒れましたが、復旧され現在も元気です。
※2015年になり白色の被爆樹木標識が取り付けられました。 |
(新しい標識) 被爆樹木 アオギリ E13b23-01(東側)
A-bombed Trees Chinese parasol tree(Firmiana simplex)
爆心地から1,300m ここで被爆しましたが、
翌(1946)年に新芽が生え、人々を勇気づけたといわれています。
後にここ(平和記念公園)へ移植されました。 |
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(新しい標識) 被爆樹木 アオギリ E13b23-02(西側)
A-bombed Trees Chinese parasol tree(Firmiana simplex)
爆心地から1,300m ここで被爆しましたが、
翌(1946)年に新芽が生え、人々を勇気づけたといわれています。
後にここ(平和記念公園)へ移植されました。 |
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被爆アオギリは、1945(昭和20)年8月6日広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局(現・日本郵便株式会社中国支社)の中庭(爆心地から約1,300m)で被爆しました。
爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、その傷跡を包むようにして成長を続けています。 |
1973(昭和48)年5月に現在地(中区中島町の平和記念公園・平和記念資料館東館北側緑地帯)へ移植されました。
移植されたのは当初3本で後に1本は枯れてしまったそうで、現在2本になっています。 |
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※2004(平成16)年9月7日台風18号で大きい方のアオギリが根こそぎ倒れ、翌日復旧され現在に至っています。 |
アオギリ
青桐
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アオギリ科の落葉高木。中国原産。
高さ10〜15mになり、小枝は太く、樹皮は滑らかで緑色です。
葉がキリに似ていて、樹皮が鮮緑色なので青桐の名が付いています。葉は大きく、長い柄があって互生し、扁円形で長さ15〜30cm、掌状に浅く3〜5裂し、上部の3裂片は大きく、縁に鋸歯(きょし)はありません。葉の裏に軟細毛を密生します。6〜7月ころ枝先に長さ30〜50cmの大きな円錐花序を出し、淡黄褐色の雄花と雌花が多数混生して開きます。果実は10月に熟します。沖縄、台湾、中国大陸、インドシナに分布します。乾燥地にも強く、潮水、潮風、大気汚染にも耐え、街路樹、公園、学校の庭などに広く植えられています。材は家具用。 |
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2002年7月、11月に撮影、2003年に撮影した画像とで、この頁を編集しました。
2004年9月台風で根こそぎ倒れたという事を報道で知り、撮影し頁を更新しました。
倒れ復旧して以後、元気にしているかなと平和記念公園に来た時はみて撮影していましたので、この頁(を“被爆したアオギリ・概説”頁とし)とは別頁で編集することにしました。 |
2004年台風で大きい方のアオギリが倒れてからは、ほぼ毎月みて別頁で編集していますのでこの頁を更新はしていなかったのです。(最下段に記述しているリンクから各年のアオギリを見ていただければ幸いです)
2015年から被爆樹木の‘黄色い標識’から新しい“白色の被爆標識”に取り替えられており、この被爆アオギリには被爆標識が取り付けられていませんでしたが、2015年5月白色の被爆樹木標識が取り付けられました。2018年のいまになりましたが、この頁に加えました。 |
18.08.28.更新 03.06.07裕・記編集 |
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02.07.09.撮影 |
中区中島町1 平和記念公園(平和記念資料館東館北側)
左側(西側)が小さい方の被爆アオギリ、右側(東側)大きい方の被爆アオギリ、手前が説明板(あおぎりのうたが聞けます) |
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02.11.22撮影 |
黄葉したアオギリ |
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03.02.20撮影 |
すっかり落葉しています (アオギ二世はまだ傍に移されていません) |
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03.06.06撮影 |
アオギリ2世が親元に移されました |
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03.07.09撮影 |
03.07.09撮影 |
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03.08.12撮影 |
03.08.12撮影 |
左奥に写っているのが被爆したアオギリ二世です |
アオギリの実が付いた処をみました |
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03.08.12撮影 |
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黄色く見える処がアオギリの実が付いているところです |
熟してはいませんが実が3個付いていました
(1個取れてしまいました、1個はなくしてしまいました) |
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04.04.22撮影 |
芽吹いてきていました |
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04.05.27撮影 |
04.05.27撮影 |
被爆の傷跡は今も |
傷跡を包むようにして成長を続けています。 |
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04.08.27撮影 |
04.08.27撮影 |
種が黄色く色付いてきていました |
ことしは黄色くなってきていましたので撮影しました |
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04.09.08.撮影 |
2004(平成16)年9月7日 台風18号によりアオギリが葉が繁りすぎ風の抵抗が大きく根こそぎ倒れたという報道でした。
(真ん中のH=6m、幹周80cmの1本、支柱が新しいものです) |
(2004年)9月8日昼頃撮影に行きました。既にアオギリは起こされ復旧作業は終わりかかっていました。
(右側の小さいアオギリは被爆したアオギリ2世といわれるものでここに移植されたものです) |
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15.05.28.撮影 |
(2015年白色の被爆樹木標識が取り付けられました)E13b23-02(西側) E13b23-01(東側)大きい方のアオギリ |
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03.12.04.撮影 |
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平成12(2000)年夏、この場所から約10mはなれた植え込みの中で自然の実生から育っていた(被爆アオギリ二世)と確認できる樹木が見つかりましたので平成15(2003)年3月19日に移植しました。 |
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2003年12月になって移植されている事に気が付き撮影しました。
2002年(下画像)に比べ大きくなっていますね。 |
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02.11.22撮影 |
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被爆アオギリ二世
平成12(2000)年8月2日に被爆アオギリ二世としてこの場所に育っているのを(広島市が)確認しました。 |
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被爆したアオギリの近くの植込みの一角の中に植えられていると思っていましたが、種が飛んで自然に育ったようです被爆アオギリ二世と言われています。2003(平成15)年に被爆アオギリの根際に移植されました。 |
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関連頁:わが町の中野東小学校に植えられている被爆したアオギリ二世 |
※原爆資料館東館でH≒30cmに育てた苗木を袋に入れ、親木が被爆した経緯や育て方を記したカードを添え修学旅行生に無料配布しているそうです。04.09.24追記 |
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「アオギリのうた」 作詞・作曲/森光七彩( もりみつななせ)さん (中区の千田小三年2000年当時)の曲が聞けます |
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