(被爆した)アオギリ2009年

  中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2009年」をこの頁で取り上げました。
今(2009)年もアオギリを四季折々みていこうと思っていますのでよろしければつきあってやってください。
12月21日(曇り・霧雨)今年の被爆したアオギリの撮影も特別なことがない限りこれで今年は終わりです。
被爆したアオギリは黄葉はわずかな枯葉が付いているだけでしたが(画像右側)被爆アオギリ2世は(若いからか)例年のようにまだまだ黄葉を付けていました。12月も半ば閑散とした平和記念公園で、このアオギリ付近に人影はありませんでした。
09.12.23更新   09.02.10裕・記編集
2009年12月21日

’09.12.21.撮影
静かな中、枯葉を落とすだけになったアオギリ達でした

’09.12.21.撮影

’09.12.21.撮影
2009年11月26日
11月26日、今年の被爆したアオギリは黄葉になると同時に枯葉にもなっているようでした。
小さいほうのアオギリは枯葉になってきているとうで、大きいほうのアオギリはこれからもう少し黄葉になるのかなと(わたしは)思ったのですが。

’09.11.26.撮影
多くの(平和学習の)小学生や修学旅行生がいました。

’09.11.26.撮影

’09.11.26.撮影
2009年10月24日
10月24日、被爆したアオギリの種は既に採られて(取られて?)いました。
観光シーズンに入ったのか、(日本人の)一団が、ガイドさんが語る『原爆で傷ついたこのアオギリが新芽を出しているところをみて、生きることの大切さを教わったという被爆者・沼田鈴子さん※の話』を聞いていました。
沼田鈴子(ぬまた すずこ:1923-2011)
被爆(証言活動)者。大阪市出身。
このアオギリがもともとあった広島逓信局(爆心地から≒1,380m:RC造4階)に事務員として勤務されていていました。1945(昭和20)年8月6日4階で被爆、建物の下敷きになり、左足首切断(8月10日無麻酔手術で大腿部より切断)、8月末婚約者の戦死の知らせを聞く、それらの失われた悲しみが憎しみのみに変り、自殺から離れられない日々が続いたそうです。生きることの大切さを教えてくれたのが大ヤケドをしながらも、立派な枝を成長させて力強く生きていこうとする(逓信局運動場の)アオギリだったそうです。
  沼田さんの証言に心打たれるのは、
被爆者・被害者としての立場だけではなく、侵略戦争を起こした加害者側の国の人間としての意識を持ち、アジア各地を訪問し、日本との戦争で被害を受けた人々とも向き合い続けた処にもあります。
 (沼田鈴子さんの手記・証言などを参考にしました)
2011年7月12日心不全のため亡くなったとラジオ報道で知りました。13日付けの中國新聞に次のように紹介がありました『1982(昭和57)年記録映画「にんげんをかえせ*」に登場したのを機に反核平和運動を始めた。「被爆アオギリのねがいを広める会」代表としてアオギリ2世、3世を国内外に広げる運動を呼び掛けた。』
米国立公文書館などに眠っていた原爆被害を記録したカラーフィルムを市民が買い戻す「10フィート運動」のフィルムで制作された作品。
11.07.13更新  09.10.26裕・編集

’09.10.24.撮影
日本人の一団がガイドさんの話を聞いていました
2009年9月14日
今年は、秋の訪れが早いと思っていますが、被爆したアオギリの種も熟れてきたようで茶色になっていました。
09.09.17編集

’09.09.14.撮影

’09.09.14.撮影

’09.09.14.撮影
秋の訪れが早いと思う今(2009)年種も熟れてきたようでした
2009年8月6日
通称・平和記念式典終了後被爆したこのアオギリを撮影に行きました。やはり普段とは違う多くの人が周りに・・・アオギリも花が終わり種になってきていましたので撮影しました。(今年の通称・平和記念式典参列者は5万人であったと市発表で知りました)
  09.08.10編集

’09.08.06.撮影

’09.08.06.撮影

’09.08.06.撮影
原爆忌8月6日に立ち寄ってみました。
2009年7月7日
  6月みたときことしはわずか(しか)蕾が膨らんできていないようにおもったのですが、7月訪ねた時は(いつものように)たくさん花を付けているところをみました。
09.07.14裕・記

’09.07.07.撮影

’09.07.07.撮影

’09.07.07.撮影
2009年6月15日
  わずかですが今年も花が咲くのでしょう、蕾が膨らんできているようでした。
09.07.05裕・記

’09.06.15.撮影

’09.06.15.撮影

’09.06.15.撮影

’09.06.15.撮影
梅雨なのに夏のような日差しでした、蕾も膨らんできているようでした
2009年5月4日

’09.05.04.撮影

’09.05.04.撮影
いつもは閉まっている駐在所がフラワーフェスティバル期間中だからでしょうオープンしお巡りさんが座っていました

’09.05.04.撮影
フラワーフェスティバル期間中でしたがここ被爆アオギリの所は静かでした。
2009年4月18日

’09.04.18.撮影

’09.04.18.撮影
4月になってムズムズしてきたのでしょうか?芽吹きがはじまっていました
2009年3月9日

’09.03.09.撮影

’09.09.09.撮影

’09.03.09.撮影
被爆アオギリたちも春は感じているのでしょうがまだ芽吹くまでには・・・ 
2009年2月2日
  冬には落葉するアオギリですが、1月9日に平和記念公園に立寄った時みると、被爆したアオギリ2本は完全に落葉していましたが、(東側の)アオギリ2世はまだ黄葉が残っていましたが2月2日立寄った時は丸裸になっていました、暖冬?とはいえやはり冬だな〜と・・・
09.02.10裕・記

’09.02.02.撮影

’09.02.02.撮影

’09.02.02.撮影
↑南側みたアオギリ  (東より被爆アオギリ2世、大きい方の被爆アオギリ、小さい方の被爆アオギリ) 

’09.02.02.撮影
2009年1月9日
広島植物公園が落ちない葉っぱ「ヤマコウバシ」を合格祈願のしおりとして売り出したというニュースを聞いていましたので、アオギリ2世の残り葉は『核廃絶の願いが地に落ちないことを願っている』ことなのかと思いました。
09.01.30裕・記

’09.01.09.撮影

’09.01.09.撮影

’09.01.09.撮影
↑南側(平和記念資料館側)からみた被爆したアオギリ   ↓北側からみた被爆したアオギリ

’09.01.09.撮影



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