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中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2023年版」です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。 |
(背が低い)竹の柵に囲まれた中には、西側(正面からの画像で左側)に小さいほうの被爆アオギリ、中央に2004(平成16)年台風で倒れた大きい方の被爆アオギリ、東側に被爆アオギリ2世の三本が現在植えられています。 |
今(2023)年もアオギリを四季折々みていこうと思っていますのでよろしければお付き合いいただければ幸いです。
昨(2022)年新型コロナ感染が終息に向かったわけではなく経済の再生が優先するとの政策転換でここ平和記念公園被爆アオギリへの見学者も戻りつつあるとはいえ、コロナ感染者数は少なくなる気配もなく今(2023)年をむかえました。 |
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1月5日(木)11時半まえでした。天候は、くもっていました。
平和記念公園としてはコロナ前の冬場に引けを取らないと思うほどの観光客でした(が)。
ここアオギリ周りは、いつもの冬場と同じように閑散としていました。
〔先月は修学旅行生でにぎやかだった(被爆アオギリ前の)喫茶・休憩所"あおぎり"はいつもの冬場のように少ないお客さんでした。〕
被爆アオギリたちはほぼ落葉していましたが、東側の被爆アオギリ二世は若いからでしょうまだまだ枯葉を付けていました。
被爆した傷痕を包むように成長していった被爆アオギリたちの生命力に(植物というものの)敬意をはらいながらしみじみとみることができるのが冬場なのです。 |
23.01.06..裕・記編集 |