(被爆した)アオギリ2023年

  中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2023年版」です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
(背が低い)竹の柵に囲まれた中には、西側(正面からの画像で左側)に小さいほうの被爆アオギリ、中央に2004(平成16)年台風で倒れた大きい方の被爆アオギリ、東側に被爆アオギリ2世の三本が現在植えられています。
今(2023)年もアオギリを四季折々みていこうと思っていますのでよろしければお付き合いいただければ幸いです。
昨(2022)年新型コロナ感染が終息に向かったわけではなく経済の再生が優先するとの政策転換でここ平和記念公園被爆アオギリへの見学者も戻りつつあるとはいえ、コロナ感染者数は少なくなる気配もなく今(2023)年をむかえました。
(2020年コロナで撮影していな月もありましたが)ことしは、12月まで欠けることなく撮影出来ました。
わたしのつたない撮影、編集にお付き合い頂きありがとうございました。
12月25日(月)12時を過ぎていました。晴れてきていました。
アオギリたちは、落ち葉の季節を迎えてきているようでした。
枯葉がまだまだ残っている被爆アオギリ二世は若いからかそうそう丸裸になりはしないよとでも云っているのでしょう。西側(画像左の)小さいほうの被爆アオギリはすっかり葉っぱを落としていました。
先日(先週週末)の寒さに比べれば暖かったので、持ってきましたサンドイッチと無料休憩所で熱いお茶を求め、アオギリ前の簡易椅子に座りアオギリたちっを見ながら食べました。
その間、警備員の方が前を通り過ぎましたが、観光客がアオギリたちを見に来ることはありませんでした。
23.12.26.更新   23.01.06..裕・記編集

23.09.20.撮影

23.10.26.撮影

23.11.10.撮影

23.12.25.撮影
2023年9月20日のアオギリ 2023年10月26日のアオギリ 2023年11月10日のアオギリ 2023年12月25日のアオギリ

23.05.08.撮影

23.06.27.撮影

23.07.20.撮影

23.08.27.撮影
2023年5月26日のアオギリ 2023年6月27日のアオギリ 2023年7月20日のアオギリ 2023年8月27日のアオギリ

23.01.05.撮影

23.02.22..撮影

23.03.13..撮影

23.04.13..撮影
2023年1月のアオギリ 2023年2月のアオギリ 2023年3月のアオギリ 2023年4月のアオギリ
2023年12月25日

23.12.25..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.12.25.撮影
(西側から見ました) 先月に続き被爆遺構展示館園路工事のバリケードが設置されていました

23.12.25.撮影

23.12.25.撮影
バリケードがあり後側の定位置から撮影できないのでこの角度で撮影しました

23.12.25.撮影
真ん中の被爆アオギリ  と  被爆アオギリ二世

23.12.25.撮影
落ちそびれている枯葉をみました

23.12.25.撮影
正面(≒南側から)みました

23.12.25.撮影
観光客も来ず静けさの中でした(工事も昼休みで) 

23.12.25.撮影
 
後ろからの撮影はせず、≒南東からみました 
被爆遺構展示館園路工事
工事名:平和記念公園旧中島地区被爆遺構展示館園路新築工事(5-1)
工事費:3.550万円
発注者:広島市市民局国際平和推進部平和推進課
私見です。
先月わからなかった工事費が3千550万円だったので、被爆遺構展示館建設費の三分の一以上をかけて整備するようです。
先月も云いましたが、その費用を被爆遺構展示館の建設費にかけて頂きたかったのです。
建設費が1億円以上になると議会案件になるからだったのではと穿った見方をわたしは(しているのです。
現在の被爆遺構展示館の規模とその展示で、14万人もの人々の命を奪った原爆の惨禍を解れと云われても、わかるわけないだろうと反論したくなる施設なのですから。
工期が来年2月18日までですので、来年初めまでは手店撮影ができないようです。

23.12.25.撮影
 
2023年11月10日

23.11.10..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.11.10.撮影
(西側から見ました)

23.11.10.撮影
バリケードがあり後側の定位置から撮影できないな~と思いました

23.11.10.撮影
アオギリはやっと黄葉が始まろうとしているようでした

23.11.10.撮影
バリケードで三方囲まれているようでした

23.11.10.撮影
≒西北側からみました

23.11.10.撮影
 
23.11.10.撮影
後側から 上部をみました 

23.11.10.撮影
黄葉が始まってきているようでした
被爆遺構展示館園路工事お知らせ板
工事期間:令和5(2023)年11月8日から令和6(2024)年2月初旬
私見です。
展示館への園路は必要ないとは思いませんが、
被爆遺構展示が僅か6畳ほどで原爆が投下された昭和20(1945)年年末までにおよそ14万人もの方々が原爆で亡くなったと推測されている原爆の惨禍を感じろと云われているような展示館なのですから、園路の費用を展示館の規模を少しでも大きくすることに使えなかったのかと思うのです。
工事看板がまだ取り付けられていなかったので工事費はわからないのですが何千万円か?なのではないかと思うのですが。

23.11.10.撮影
バリケードに取り付けられている園路お知らせ板
2023年10月26日
10月26日(木)10時半過ぎでした。晴れていました。
今月のアオギリたちは、既に種は終わっているというのに葉っぱは緑色と云ってもいいような状態でした。
10月26日のこの日は、平和公園自体も多くの観光客が訪れていましたが、
ここアオギリの周りにも(いつもより)多くの観光客が見学しているように(わたしは)感じました。
  23.10.27..裕・記編集

23.10.26..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.10.26.撮影
アオギリの周りに観光客や多くの修学旅行生が訪れていました

23.10.26.撮影
西側からみました。アオギリ全体は緑色でした

23.10.26.撮影
アオギリの種は終わっているようでしたが、葉っぱは緑色が圧倒しているようでした

23.10.26.撮影
黄葉にはまだ時間がかかるのでしょうか?

23.10.26.撮影
正面側(南)からみました

23.10.26.撮影
裏側(北)からみました
2023年9月20日
9月20日(水)11時前でした。曇っていましたが暑い日でした。
今月のアオギリたちは、既に種は熟していましたが、例年ならアオギリ全体が黄茶色になっているのにな~と思いましたが、緑の葉っぱが圧倒していました。
ちょうどアオギリの種を撮影しているときに、幼稚園の園児たちがやってきましたので、邪魔にならないよう離れて撮影するかと思ったときに、先生が「このアオギリたちは、実際にげんばくにあったのです」と、平和学習の一端だったようです。
アオギリたちは行く先短い老人のわたしに見られるよりも、前途洋々の園児たちに見られることを喜んでいたことでしょう。
 23.09.21..裕・記編集

23.09.20..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.09.20.撮影
西側からみました。アオギリ全体は緑色でした

23.09.20.撮影
近づいてみると種は熟れていましたが、数が少ないから緑色が圧倒しているようでした

23.09.20.撮影
〔舟形の果皮が裂け(5枚と云われています)て、果皮の端部に付いた種を撮影(したつもりですが〕

23.09.20.撮影
園児たちが先生に引率されアオギリたちを見に来ていました

23.09.20.撮影
小さいときから平和学習?頼もしい広島の園児たちです

23.09.20.撮影
裏側(北側)からみました
2023年8月27日
8月27日(日)10時半前でした。晴れて暑い日でした。
今月のアオギリたちは、実が色付いてきていましたが、まだ全体的には黄色が強調されるには至っていませんでした。
アオギリの周りは閑散としていました。
わたしは、無料休憩所でアクエリアスを求め、(先月までと違ってわたし一人でした)簡易椅子に座り喉を潤いさせながらアオギリたちをしばらくみて暑さからの疲れを癒しました。
23.08.28..裕・記編集

23.08.27..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.08.27..撮影
≒西側からみました

23.08.27..撮影
アオギリの種が色ついてきていましたが、まだアオギリ全体が黄色にはなっていませんでした

23.08.27..撮影
実が色ついてきていました

23.08.27..撮影
舟形の果皮が裂け(5枚と云われています)て、果皮の端部に付いた種を撮影(したつもりですが)

23.08.27..撮影
アオギリの周りに(1グループいましたが)は閑散としていました

23.08.27..撮影
裏側(北側)からみました
正面で説明していたボランティアガイドの方(熱中症対策からでしょう)木陰に入って見学者たちに説明を続けておられました
2023年7月20日
7月20日(木)11時半ころでした。雲はありましたが暑い日でした。
今月はアオギリたちは、花が終わり、実になって来ていました。
修学旅行がひと段落したこの季節、アオギリの周りは閑散としていました。
アオギリたちを見ながら簡易椅子に座ってのどの渇きを潤そうとペットボトルのキャップを回そうとしたのですが、力が足りなかったのか!なかなか開けることが出来ず、力の衰えをしみじみ思いながらのどを潤すことはやっとできましたが。
23.07.21..裕・記編集

23.07.20..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.07.20..撮影
≒西側からみました

23.07.20..撮影
今月は花がおわり、種になろうとしていましたので、先月のような黄色いアオギリではありませんでした

23.07.20..撮影
実になってきていました

23.07.20..撮影

23.07.20..撮影
アオギリの周りは閑散としていました

23.07.20..撮影
裏側(北側)からみました
2023年6月27日
6月27日(火)12時ころから13時前まで、少々疲れていたいたようで、アオギリ前の簡易椅子に座ってアオギリたちを見ていました。
今月はアオギリたちは、多くの(黄色い)花芽を付けていたので、青々としたアオギリではなく黄色いアオギリでした。
平和記念公園は先月に比べ梅雨に入っているからか観光客は少ないようでした。
ここアオギリ周りも先月に比べれば見学する人は少ないな~と思い、のんびりと長い時間アオギリを見ていました。
そのなかで、被爆したアオギリたちが一番喜ぶであろう出来事にであいました。
アオギリの前で幼稚園の園児たちが(老人ボケのわたしが覚えきらない)「アオギリのうた」を謳いだしたのです。
かわいい子どもたちだなと思った緑色帽子を被った園児たちで、先生の言葉で年少の園児たちだなと思ったのです。少し時間をおいて今度は、青色帽子の園児たちがやってきて謳いだしたので、近くの幼稚園児が一生懸命覚えた“アオギリのうた”をこのアオギリたちの前で謳っている光景をみて目頭があつくなっていることしかできない老人のわたしでした。
青帽の園児たちが謳っているときに白色帽子の園児たちが来て謳い終わるのをアオギリの後ろで待っているようでした。
年長であろう白帽の園児たちが声を合わせ謳っている処を見た観光客(外国人が多いようでしたが)立ち止まり歌っている園児を見つめ、歌い終わると多くの拍手が園児たちに贈られていました。
昔々になりうろ覚えですが、わたしの子どもたちは2年保育だったので、今どきは3年保育が普通なのだろうな~と教育日本を思う出来事でもありました。
 23.06.28..裕・記編集

23.06.27..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.06.27..撮影
≒西側からみました

23.06.27..撮影
今月は多くの花芽で黄色くなっていました
小さい方の被爆アオギリはたくさんの花芽+大きい方の被爆アオギリ少なめの花芽でした+元気いっぱい被爆アオギリ二世
幼稚園児が“アオギリのうた”を歌いました
一生懸命覚えたのでしょうかそれとものびのびと忘れることもなく覚えたのでしょう。
歌の主の被爆アオギリの前で、歌っていた園児たちを眩しく眺めていた老人で歌詞さえ覚えきらないわたしは見ていました。
♪♪ 電車にゆられ 平和公園 やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん たくさん たくさん たね生んで
家ぞくがふえたんだね よかったね 遠いむかしの きずあとを
直してくれる アオギリの風 遠いあの日の かなしいできごと

資料館で見た 平和の絵 いろんな国の 人々や
私がみんなが 考えてゆく広島を 勇気をあつめ ちかいます
あらそいのない国 平和の灯(ひ) 遠いむかしの できごとを
わすれずに思 うアオギリのうた これから生まれてゆく 広島を大切に

広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔
※歌詞は、広島市 市民局 文化スポーツ部 文化振興課の資料を参照しました。
はじめて会った年少園児 年中園児 周りから拍手が起こった年長園児

23.06.27..撮影
花が咲き出していました

23.06.27..撮影
(周りに人影がないときもありましたが)

23.06.27..撮影
裏側(北側)みました
 2023年5月26日
5月26日(金)11時半前でした。晴れていました。
サミットが21日終わって少しは落ち着いた平和記念公園になってきたかと思ってはいましたが、5月8日訪ねた時よりも修学旅行生も多く、外国人の観光客も多く訪れていました。
アオギリたちの後側(民放の森)には多くの修学旅行生が昼食前で集合しているようでにぎやかで楽しそうでした。

アオギリには、早くも花芽が付いていました。
 23.05.30..裕・記編集

23.05.26..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.05.26..撮影
昼食前での集合のようでした

23.05.26..撮影
楽しそうな声々がこちらまで届いていました

23.05.26..撮影
(弁当屋さんを待っている先生?)

23.05.26..撮影
花芽がついてきていました

23.05.26..撮影
多くの修学旅行生が集合していていたので、定点からは後側で撮影しました
 
2023年5月8日
5月8日(月)午前11時半ころでした。天候は、晴れていました。
南区京橋町の源光院からここ中区中島町の平和記念公園へぶらぶらと歩いてきました。途中コンビニで弁当とお茶を求め、ここ平和記念資料館東館前の(隅っこに一つ空いていた)簡易椅子に座り弁当を食べました。隣側の椅子には独逸人たちが座っておしゃべりしていました。
わたしが弁当を食べ終わるまでに、G7広島サミットの特別警戒をしているお巡りさんが2度ほど(わたしだけではないと思いますが)観に来ました。
今月はアオギリたちは青々と葉っぱが茂ってきていました。
 23.05.30..裕・記編集

23.05.08..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館現在出口側)

23.05.08..撮影
G7広島サミットの特別警戒中の(福島県警察の)お巡りさん

23.05.08..撮影
≒西側からみました

23.05.08..撮影
(落葉中だった先月)今月は青々と茂ってきていました

23.05.08..撮影
(弁当を食べているとき撮影中は)多くの独逸人観光客をみました

23.05.08..撮影
新葉が茂ってくる季節

23.05.08..撮影
〔昼休み休憩に入った記念公園内清掃員の人たち〕      裏側(北側)みました
2023年4月13日
4月13日(木)午前11時半ををまわっていました。天候は、晴れていました。
平和記念公園の人出はコロナ前に戻ってきているようでした。
そして外国人観光客の多さが目につきました。(わたしが撮影していた短い時間では)東アジアの言語の観光客もおられましたが、欧米系の観光客の多さが日本人観光客を圧倒していました。
元安川河畔のサクラは葉桜になっているほど、ことしは(も?)早いサクラの季節でしたが、アオギリはまだ新葉を出していませんでした。
  23.04.14..裕・記編集

23.04.13..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館)

23.04.13..撮影
≒西側からみました

23.04.13..撮影
新芽はまだまだ

23.04.13..撮影
2月に続いて今月も落葉したままでした

23.04.13..撮影
(アオギリたちの周りに三々五々見学の人が、春ですね~)

23.04.13..撮影
裏側(北側)みました
2023年3月13日

23.03.13..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館)

23.03.13..撮影
≒西側からみました

23.03.13..撮影
新芽はまだまだ

23.03.13..撮影
新芽はまだまだ

23.03.13..撮影
2月に続いて今月も落葉したままでした

23.03.13..撮影
(アオギリたちの周りに人影はありませんでした)

23.03.13..撮影
裏側(北側」からみました)
2023年2月22日
2月22日(水)11時半頃でした。天候は、晴れていました。
平和記念公園はコロナ前の普段の冬場に戻ったようでした(ので)。ここアオギリ周りも冬場の静けさに包まれていました。
この日は、弁当を買って来ていましたが、いままでのようなここアオギリたちを見ながら食べることは止めて、原爆供養塔横の道路を挟んだ日当たりがいいベンチで食べることを選択したわたしでした。
23.02.23.更新   23.01.06..裕・記編集

23.02.22..撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館)

23.02.22.撮影
≒西側からみました

23.02.22.撮影
新芽はまだまだ

23.02.22.撮影
新芽はまだまだ

23.02.22.撮影
今月は完全に落葉していました(1月はわずかに枯葉を付けていましたが)

23.02.22.撮影
(アオギリたちの周りに人影はありませんでした)

23.02.22.撮影
≒南東側からみました
 
23.02.22.撮影
裏側(北側」からみました)
2023年1月5日
1月5日(木)11時半まえでした。天候は、くもっていました。
平和記念公園としてはコロナ前の冬場に引けを取らないと思うほどの観光客でした(が)。
ここアオギリ周りは、いつもの冬場と同じように閑散としていました。
〔先月は修学旅行生でにぎやかだった(被爆アオギリ前の)喫茶・休憩所"あおぎり"はいつもの冬場のように少ないお客さんでした。〕
被爆アオギリたちはほぼ落葉していましたが、東側の被爆アオギリ二世は若いからでしょうまだまだ枯葉を付けていました。
被爆した傷痕を包むように成長していった被爆アオギリたちの生命力に(植物というものの)敬意をはらいながらしみじみとみることができるのが冬場なのです。
23.01.06..裕・記編集

23.01.05.撮影
アオギリたちの回りを西南よりみました       (平和記念資料館・東館)

23.01.05.撮影
(前を通り過ぎる人たちはいましたが)被爆アオギリを見学する人はありませんでした

23.01.05.撮影
被爆アオギリたちはほぼ落葉していましたが、(被爆アオギリ二世は若いからでしょうまだ枯葉がついていました)

23.01.05.撮影

23.01.05.撮影
西側の小さい方の被爆アオギリをみました 中央の大きい方の被爆アオギリをみました

23.01.05.撮影
(西側)からみました

23.01.05.撮影
裏側(北側)からみました



被爆した樹木一覧」編


平和記念公園草木一覧



広島ぶらり散歩へ
(被爆した)アオギリ・概説
アオギリ台風被害後(2004 ~2005年)
アオギリ2006年
アオギリ2007年
アオギリ2008年
アオギリ2009年
アオギリ2010年
アオギリ2011年
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