うしおさん しょうみょういん みょうこうじ
牛尾山正明院明光寺

  安佐北区深川に建っている「牛尾山正明院 明光寺」です。
深川薬師縁起                           執事謹白
-開基-
832(天長8)年久島家勝が「薬師寺」を建立しました。
主尊・薬師如来像は、弘法大師(774-835)が福王寺不動明王像の二番木をもって製作されたと伝えられています。

仁明天皇(54代:810-850)より835(承和2)年正明院という勅号を賜り古義真言宗仁和寺末寺として栄えました。
-修復-
1523(大永3)年毛利元就(1497-1571)、三吉隆亮、大内弘世(1325-1380)*の寄進によって大修復工事が施行され、永禄年間(1558-1570)毛利元就の祈願所となりました。
*説明板には大内弘世とありますが、年代が違いますので、大内義興(1477-1529)かその子大内義隆1(507-1551)ではとわたしは思います
-改宗-
1601(慶長6)年広島城主・福島正則(1561-1624)により領地(寺領では?)没収され、末光にかくれた住職・存秀は本願寺第12世准如(1577-1630)上人の化導によって、1658(寛文元)年2月4日浄土真宗に転派しました。
-保存-
(1619年)福島正則が広島を去るや存秀は、この地に帰り、浄土真宗の本堂・明光寺を建てましたが、祖先仏たる薬師如来像および堂宇を保存し、浅野家の援助と旧安佐郡内の支持により今日まで護持することができました
現在「薬師如来像が広島県重要文化財」「薬師堂が広島市重要文化財」にしてされています。
仁王門                   1999(平成11)年10月  執事謹白
  この門は、古義真言宗「正明院薬師寺」の仁王門として1601(慶長6年)に毛利家、三吉家などの寄進によって創建されたと云われています。
その後、浄土真宗に改宗されましたが「明光寺」の山門として今に受け継げられてきたものです。阿形吽形の仁王像は確かな制作年代や仏師は不明ですが、仁王門創建時代のものと推測されます。
1999(平成11)年の平成の大修復によってこの仁王像も創建当時の仁王像に復元されました。
この先、益々仏法を守護し、念仏弘通に加護賜ることを念ずるものです。
「広島新四国八十八ヶ所霊場・第23番明光寺薬師堂」が(広島新四国八十八ヶ所)「巡礼の手引き・5版」を2008年みた時,JR中深川駅の近く(駅から徒歩10分の処)にあるということを知りましたので、何時かはお参りしようと思っていました。
今回(2013)年10月「鉄道の日記念・JR西日本一日乗り放題きっぷ」@3,000円で、甲立駅から芸備線でわたしが撮影していない駅を撮影しながら下って来ましたので、中深川駅で降りて、この明光寺を訪ねたのです。
縁起板をみると薬師寺として建立され、のちに明光寺が創建されたと云う歴史からか、明光寺薬師堂が第23番霊場になったのだろうなと(わたしは)思いました。
13.12.04.裕・記編集

13.10.20.撮影
広島市安佐北区深川5-24-14

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影
薬師堂 と 本堂

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

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13.10.20.撮影
當山開基存秀墓 早副能登守良隆之墓



「広島の神社寺院」編



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牛尾山正明院明光寺
  (牛尾山正明院)明光寺薬師堂


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