|
東区矢賀の日本貨物鉄道広島車両所に建立されている「蒸気機関車検修終了記念・碑」です。 |
広島工場は、昭和18(1943)年3月23日創立以来蒸気機関車工場として歩み続け昭和48(1973)年9月17日D51214号の中間検査完了出場をもって蒸気機関車検修を終了しました。
この間≒30年出場した蒸気機関車は9214両におよび奇しくも最終定期検修車D51214号は、この両数の下三桁と同じ214でした。
本州における蒸気機関車最終受持区となった長門機関区は昭和50(1975)年1月をもってその運用を終え、広島工場における蒸気機関車の廃車処分もこの年3月をもって完了しました。
このときにあたり、広島工場職員一同の力によりここに最終出場機関車D51214号の一部を永遠の記念として残すことになりました。 |
この機関車の概要は下記のとおりです |
型式番号 D51214
車軸配置 1D1
運転整備重量 125.77ton
最大長 19730mm
最大幅 2936mm
最大高 3980mm |
動輪直径 1400mm
シリング直径 550mm
使用蒸気圧 15kg/cm2
最大動輪周馬力 1280馬力
最高運転速度 85km/H |
|
|
|
製造所年月 鷹取工場 昭和13(1938)年12月26日
全走行粁 2758257.2km
配属区 米原機関区(昭和13.12.26)、新津機関区(昭和19.6.2)、広島第一機関区(昭和19.10.7)、
広島第三機関区(昭和20年12.20)、正明市機関区(長門機関区)(昭和23.6.22日)
車輌用途廃止 昭和50(1975)年1月24日 |
|
* |
1943(昭和18)年3月23日(鉄道省)広島鉄道局広島工機部として開業しました。
1949(昭和24)年6月1日日本国有鉄道(通称:国鉄)に移管されました。
1955(昭和30)年日本国有鉄道広島工場に改称されました。
1985(昭和60)年日本国有鉄道広島車輌所に改称されました。
1987(昭和62)年4月1日国鉄の民営化に伴って日本貨物鉄道(株)広島車両所になりました。
(わたしの編集したこの頁では、現在の名称を標題に採用しています。通称:JR貨物広島車輌所) |
|
今(2013)年府中町をぶらり散歩した後、JR矢賀駅に行こうとしていた時にみると正門根際に動輪が展示してあり正門が開いていましたので、守衛室に立寄って展示動輪の撮影許可を得て撮影しました。
被爆建物と云う事で2008年に広島工場を撮影に来て正門の外ではありましたが撮影した時には、この記念碑に気付く事もなかったのです。展示動輪の説明板に“広島工場”とありましたので、爆心地から≒4250mで被爆した当時「広島鉄道局広島工機部」だった建物の名称の略沿革も今回調べました。 |
13.02.25.裕・記編集 |