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広島市西区観音本町の観音小学校に建立されている「旧プール・説明板」を取り上げました。
※被爆したプールでしたが、1995(平成7)年夏までありましたが、解体されました(ので現在は、説明板しかありません)。 |
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〔いまは無き〕被爆に耐えた観音小学校プール
観音小学校の旧プール(下段白黒写真)は、前身の広島県立第二中学校(通称・広島二中)のプールとして、1933(昭和8)年9月多くの人々から拠出金・資材の提供を受け、全校生徒・教職員による勤労奉仕によって竣工しました。
全長50m×幅15mのプールは、県内初の日本水泳連盟公認プールとして、数多くの名選手を生み出し、広島の水泳会を支えてきました。
1945(昭和20)年8月6日8時15分広島市上空で原子爆弾が炸裂し、爆心地から約1.9kmの広島二中はすべて焼失し、残ったプールに数えきれないほどの傷ついた人々が水を求めたと云われています。
1949(昭和24)年観音小学校が創立され、プールは1964(昭和39)年児童用として改修されました(下段カラー写真)。
このプールは、1988(昭和63)年まで広島市児童水泳記録会の会場などとしても使用されてきましたが、被爆50周年をむかえた本(平成7)年夏、62年間の大役を果たし新しい時代へ受け継がれることとなりました。 |
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しばらくみていなかった被爆したクスノキたちを2024年兄とみに来たのです。
その時、被爆クスノキたちを撮影し、次に(移設された)被爆クロガネモチを撮影しようと、グラウンド東側を歩いたのです。わたしは被爆クロガネモチの方に目がいってしまい、ここで取り上げた説明板に気が付かなかったのです。
しかし、兄がこの辺りに旧制・広島二中のプールがあったようだとこの説明板をみて、わたしに声をかけてくれたので、撮影しました。説明板の写真しかありませんが、この頁を編集することにしたのです。 |
25.02.15.裕・記編集 |