三原市のマンホール蓋

  広島県三原市でみた「三原市のマンホール蓋」を取り上げました。
1567(永禄10)年毛利元就の三男小早川隆景が、瀬戸内の水軍を統率するため備後国・三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城を築きました。
やっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりといわれ、それ以来大衆のなかに祝ごとは「やっさに始まりやっさに終わる」習わしになったと伝えられています。 また、その歌詞は、時代とともに移り変わり近郷の地唄、はやり唄なども大きく影響し、歌も身なりも変化し、踊り方も型にとらわれることなく、賑やかにはやしをとり入れて踊るようになり、はやしことばが「やっさ、やっさ」と声をかけられるところから、いつしかこの踊りを"やっさ踊り"と呼ぶようになったそうです。
1889 明治22年4月1日 市制町村制施行時、三原市域には御調郡の三原町、糸崎町、山中村、西野村、豊田郡の田野浦村、須波村がありました。
1936 昭和11年11月15日 御調郡の三原町、糸崎町、山中村、西野村、豊田郡の田野浦村、須波村が合併して三原市が成立しました。
1951〜1956
(昭和26年〜昭和41年)
御調郡深田村の一部を編入。 御調郡八幡村、豊田郡長谷村を編入。豊田郡沼田東村、沼田西村、小泉村を編入。豊田郡高坂村を編入。豊田郡幸崎町、鷺浦村を編入。
2005 平成17年3月22日 三原市、豊田郡本郷町、御調郡久井町、賀茂郡大和町が合併し、新しい三原市が誕生しました。
2009年乗り放題切符で訪ねた三原市でした。主目的は駅北広場に建立されている「三原市原爆死没者慰霊碑」に頭を垂れることでしたが、駅前でマンホール蓋をみましたので撮影しました。広島県のマンホール蓋もありました。
2017年呉線の未撮影JR駅を撮影するので、三原駅経由で行きましたので、途中下車して、マンホールカードをいただきました(広島城デザインのマンホール蓋のものでした)。
19.06.23.更新    10.07.06裕・記編集

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
三原駅付近でみました
新やっさ踊り(カラー) 雨水 
三原駅付近でみました
新やっさ踊り 雨水 

17.09.08.撮影
三原駅(三原市城町1)付近でみました
三原城(カラー)    汚水 

09.10.12撮影

12.10.16.撮影
三原駅付近でみました
旧やっさ踊り 汚水 
三原駅付近でみました
旧やっさ踊り 汚水 

12.10.16.撮影

17.09.08.撮影
 
三原駅付近でみました
旧やっさ踊り 汚水 
 
 三原駅付近でみました
旧やっさ踊り 汚水 

17.09.08.撮影
 

17.09.08.撮影
 
JR須波駅前でみました
旧やっさ踊り 汚水
三原駅付近でみました
旧やっさ踊り 汚水 

12.10.16.撮影

12.10.16.撮影
三原市の市章が入った消火栓の蓋 三原市の市章が空気弁用の蓋

09.10.12撮影
広島県三原市  駅前でみた広島県の流域・下水道のマンホール蓋



「マンホール蓋」編 広島ぶらり散歩へ


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