満願寺橋

  東広島市河内町入野を流れる入野川に架かる「満願寺橋」です。
※2径間のコンクリート桁橋です。橋長:19.0m。幅員:4.4m。1952(昭和27)年架橋。
※2018(平成30)年7月6日の西日本豪雨で、橋脚が沈下し、橋桁が折れて通行不可になっていると報道で知りました(撮影はしていません)。
東広島市河内町入野には篁山普陀落院(たかむらざん ふだらくいん)竹林寺という真言宗御室派のお寺が(現在も)あります。
縁起絵巻によれば、730(天平2)年僧行基(ぎょうき:668-749)によって創建され桜山花王寺と号していました。のちに、小野篁(おののたかむら:802-852)の由緒から篁山竹林寺と改められたとされています。
その
篁山西の山麓の入野の地に乾蔵坊、小野寺、南光坊、満願寺、北の山麓の中河内の地に甘露寺などの子院があったそうです。
ここ入野の地にあったという満願寺が、この橋の近くにありその名前にちなんで命名されたと考えられたのだろうと(わたしは)思いました。

古い満願寺橋は現在地より100mほど上流に架かっていたそうで、洪水で流され現在地に架けられたそうです。
ここで取り上げた満願橋(2径間のコンクリート橋)は、1953(昭和28)年12月25日入野駅が開業した時期とほぼ同じくして竣工したのではないかとわたしは考えましたが、橋の周りをざっとみましたが橋名板はありましたが竣工年板はないようでしたので、詳しくはわかりませんでしたが、東広島市の資料で、洪水に流されいまの橋になったということでしたので、わたしの考えは間違っていたようです。
古い橋は木造橋だったのでしょうが、いまはコンクリート橋になっています。親柱や手摺のコンクリートの古さで年数が経っていることはわかりました、ただ橋脚、橋桁は(色が違いましたので)補修(耐震補強?も)されたように見えましたが。
最初にみた漢字の橋名板が読めなかったのです。漢字交じりのひらがなの橋名板で「満んがんじ■志」と読めたことから漢字の方は「萬願寺橋」かなと思ったのです。
帰宅後NET検索すると東広島市立入野小学校の「とびだせ!!入野探検隊」がhitしてその中に「満願寺」とありましたので“萬(万)願寺橋”ではなく「満願寺橋」とわかり、以前訪ね編集した竹林寺の子院の中にいまは無き満願寺がこの橋の名の由来かと考えました。もう昔々になりましたが、小さかった息子たちと竹林寺に行った時はこの橋を渡ったはずだと思いながら撮影しました。
12.10.24.裕・記編集

12.10.16.撮影
広島県東広島市河内町入野

12.10.16.撮影

12.10.16.撮影



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