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東広島市河内町の中河内地区と入野地区でみた「マンホール蓋」を取り上げました。 |
賀茂郡河内町時代のマンホール蓋は、鮎と何をデザインしたものだろうと思いながら(複数箇所)撮影しましたがわかりませんでした。
帰宅後調べると、河内町の花がツツジ(躑躅)でしたので、ツツジの花をデザインしたものだと思いました。
また、“こうち”というところを合併後の東広島市の市章にかえた河内町当時のデザインのままのマンホール蓋を入野駅付近でみましたので撮影しました。 |
旧賀茂郡河内町町章は、Wikipediaを参照すると、
『椋梨川、沼田川の間(内)にあるという意味を表したもので、1952(昭和27)年4月1日に制定されたもの』だそうです。 |
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1889 |
明治22年4月1日 |
市町村制施行時には、後の河内町町域には、豊田郡大河村、戸野村、豊田村、入野村がありました。 |
1924 |
大正13年4月1日 |
大河村が改称町制を施行して河内町となりました。 |
1955 |
昭和30年3月31日 |
河内町と戸野村の全域、豊田村のうちの一部が合併してあたらしい河内町になりました。 |
1956 |
昭和30年9月30日 |
(前年に賀茂郡に所属変更になった)河内町と入野村が合併して新しい河内町となりました。 |
2005 |
平成17年2月7日 |
河内町は、東広島市と 賀茂郡の黒瀬町、豊栄町、福富町と豊田郡安芸津町と合併して(新しい)東広島市の一部になりました。 |
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JR入野駅、JR河内駅付近でみたマンホール蓋を撮影しました。
賀茂郡河内町時代のマンホール蓋がまだ残されていたのは、マンホール蓋を撮影しているわたしにはうれしいものでした。また、河内町時代を大切にしようとしているのかデザインは同じで東広島の市章に替えられたマンホール蓋もみました。
2017年JR河内駅から東広島市河内支所に行った時にみた旧河内町町章が鋳込まれたマンホール蓋をみましたので追加しました。 |
17.09.28.更新 12.10.29.裕・記編集 |