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三原市本郷町下北方にある「梅木平古墳」です。
※広島県内で一番大きな石室をもつ古墳といわれています。 |
広島県指定史跡 梅木平古墳 昭和24(1949)年10月28日指定 |
本郷町観光協会平成23(2011)年12月 |
本古墳は、広島県最大の横穴式石室で、奥行13.1m、幅2.9m、高さ4.2mを持つ日本の巨石墳に並ぶ規模です。
6~7世紀の後期古墳は、家族墓の性格が強く山麓に群集墳を形成するようになっています。
石室は入口を東に向け開口しており、玄室奥を両袖、前は片袖で羨道とに区分しています。奥壁には巨石三段に、側壁には三段四段に積まれており、巨石の隙間は小さな石で補っています。天井には玄室四枚、羨道に四枚の巨大な石を架けています。
玄室の床面には小礫が露出し、副葬品の確認はありません。 |
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今から1360年前この規模から沼田佐伯部を管理した佐伯直(さえきのあたい)など有力支配者の家族墓と考えられています。200mほど東にある寺院跡の横見廃寺はこの古墳に葬られた氏族の氏寺的なものとして注目されます。
古墳の墳丘上にある小堂にはこの寺にあったものと考えられる朽損した平安時期の仏像二躯が祀られています。正徳5(1716)年の名所旧跡帳には「梅慶庵塚」と記されています。 |
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広島県教育委員会の資料に
『本郷町の沼田川中流にそそぐ梨和(なしわ)川・尾原川の狭い谷間には、家形石棺などを納める特色ある横穴式石室墳が分布し、梅木平古墳はその東端の南面した丘陵端に位置する。
墳丘は周辺が畑となり、規模は不明であるが円墳と思われる。
県内では最大規模の横穴式石室を内部主体とし、現存の全長13.25m、奥壁幅3.02m、高さ4.21mで、入口部分が破損しているので、もう少し長くなろう。
両袖式の石室で、玄室と羨道部の天井部の高さの差が著しい。7世紀初頭前後の古墳と推定される。
墳丘の小堂(梅慶庵)には平安時代(794~1184)の仏像2体が安置され、古墳の東約200mには、白鳳時代(7世紀後半)の寺院跡である横見廃寺跡(史跡)がある。』と上記観光協会の数字とは多少違っていました。
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旧豊田郡本郷町は、
1889(明治21)年4月1日市町村制施行。(三原市と合併前の本郷町域には)
(豊田郡)上北方村・下北方村・善入寺村・船木村・本郷村・南方村がありました。
1924(昭和13)年4月1日本郷村が町制施行して本郷町になりました。
1951(昭和26)年4月1日上北方村+下北方村+善入寺村=北方村。
1954(昭和29)年11月3日本郷町+北方村+船木村+南方村=本郷町(2代)。
2005(平成17)年3月22日本郷町+三原市+賀茂郡大和町+御調郡久井町=(新しい)三原市。 |
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玄室(げんしつ)≒古墳時代の横穴式石室などの棺を納める部屋。普通は一室。
羨道(せんどう)≒横穴式石室で、玄室に通じる道。
袖部(そでぶ)≒玄室と羨道との接続部。
「両袖型」:羨道部から見て玄室の袖部が左右に広がっているもの
「片袖型」:右か左どちらか一方へ広がっているもの
「無袖型」:羨道と玄室の幅が同じで連続しているもの |
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横穴式石室≒遺骸を安置する玄室を割り石・切り石などで築き、羨道を前面に設ける。
(古墳時代後期) 入り口が開閉でき追葬が容易。
竪穴式石室≒古墳の頂上部に四壁に石を積み上げた竪穴を造り、
(古墳時代前期) 上から棺を納め石材で天井を覆う形態の石室。 |
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2016年5月黄金週間、世羅郡世羅に行ったのです。ごった返す道の駅世羅で昼食を摂るには時間をつぶしてからにしようと町内でみたのが、康德寺古墳という道路標識で、しばらく古墳をみていないので、見に行ったのです。横穴式石室をみて、その中に入った時大きな石室だなと思ったのです。
設置の説明板を読むと(広島)県内第2位の大きさの石室と記述があったのです。それでは一番大きな石室を持つ古墳はと思って、帰宅後NET検索すると広島県教育委員会の“広島県の文化財”という頁で「梅木平古墳」がヒットし、rこの古墳だなとわかったのです。 |
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次の週(5月12日)に、三原市本郷町駅前すぐのの生涯学習センターで道順を聞いたのですが、(車で)旧道に入る道順がわからずうろうろしましたが、やっと目標建物である本郷中学校に出逢い、西側の道を北に上り梅木平古墳の説明板にたどり着き、見学できました。 |
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本郷生涯学習センターにある古墳からの出土品の見学は、学芸員が常駐していないのできょう(5月12日木曜)は見学できないと断られましたので、いつ来れば見学できるのかを聞いたのですがわからないという不親切さでした。
“ほんごう古墳の里”という観光資源が活かされていないし、生涯学習と謳っているこのセンターの名がなくのではと思えてならなかったので、敢てここに記述しました。 |
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16.05.19.裕・記編集 |