宮川神社(旧称:山王社)

  三原市本郷町下北方に鎮座している「宮川(みやがわ)神社」です。
※旧称は“山王社”、通称として“宮地川山王さん”と呼ばれているそうです。
祭神:伊邪那伎神、天照大御神、大名牟遅(おおなむち)神、武甕槌(たけみかづち)神、
    日子穂々手見(ひこほほでみ)神。

由緒:
創祀年代は不詳ですが、梨和城主・田中時春の崇敬の社と云われています。
    1600(慶長5)年毛利輝元(1553-1625)の楽音寺寄進状に「山王社領、八石余」と記されています。
  祭神の神像五躯(たい)は、平安時代の作といわれています。
四躯(伊邪那伎神、天照大御神、大名牟遅神、武甕槌神)は、衣冠束帯で、一躯(日子穂々手見神)は僧形姿で祀られています。
沼田文化発祥の地、古代文化がこの地にあることも歴史上知ることができ、先人が残した貴重な文化財で1976(昭和51)年9月本郷町重要文化財に指定され、当地氏子によって維持管理を行っており、本殿屋根瓦も老朽化にあわせ2001(平成13)年3月芸予地震によっては存修理を行いました。
                               三原市教育委員会
旧豊田郡本郷町は、
1924(昭和13)年4月1日本郷村が町制施行して本郷町になりました。
1951(昭和26)年4月1日上北方村+下北方村+善入寺村=北方村。
1954(昭和29)年11月3日本郷町+北方村+船木村+南方村=本郷町(2代)。
2005(平成17)年3月22日本郷町+三原市+賀茂郡大和町+御調郡久井町=三原市。
倒れ折れた標柱がすぐに目に入りました。
2013年9月に参拝した方が記事にされており、掲載画像を見るとその時は標柱は建っていましたので、それ以後に倒れ折れたのでしょう。標柱に刻まれた「神威赫赤(赫)」、神の権威が輝いていないような状態になっていました。
2016年5月黄金週間、世羅郡世羅に行ったのです。その時みたのが康德寺古墳(広島)県内第2位の大きさの石室)と知り、それでは一番大きな古墳はと思って知った「梅木平古墳」だったのです。
「梅木平古墳」を訪ね見学しようと車から降りた時に真っ先に目に入ったのが倒れ折れた標柱でした。
倒れた時ここ宮川神社由来板も一緒に倒れていましたが、由緒板は読めましたので、主目的である「梅木廣古墳」を見学したのち、この神社を参拝し、撮影しましたのでこの頁を編集しました。
 16.05.19.裕・記編集

16.05.12.撮影
広島県三原市本郷町下北方1310

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
本殿:一間社流造、桟瓦葺(間口:六尺七寸、奥行:五尺五寸)

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
山王神社本殿修復記念碑:平成14年 拝殿新築記念碑 (倒れた)標柱:神威赫赤(赫)



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