さだまるだいにごうこふん
貞丸第二号古墳

  三原市本郷町南方にある「貞丸第二号古墳」で、(通称)“貞丸2号古墳”です。
※広島県教育委員会の資料では「貞丸第二号古墳」としており、貞丸2号古墳は本郷町観光協会が使っています。
  なお、1号古墳は広島県教育委員会の資料では「貞丸古墳」としています。
広島県指定史跡 貞丸第二号古墳  昭和25(1950)年9月16日指定    本郷町観光協会平成23(2011)年12月 
貞丸第二号古墳は、貞丸(1号)古墳の上手約40mのところにあり、今日では封土*1もなく、天井岩も露出しています。
石室は貞丸(1号)古墳と同じ横穴式石室で中には組合式家形石棺が置かれていましたが、今日では全く解体され蓋石は、大日堂にある記念碑の台座に、側石の一枚は折半され、堂前の沓石と墓地の地蔵尊の台および屋根に使用されており石棺材はほとんど分散されてしまっていますが、その石材は貞丸(1号)古墳と同じ流紋岩質凝灰岩で、6世紀末頃の円墳と推定されています。
*1)封土(ふうど)≒古墳をおおう盛り土。人工のものばかりでく、自然の地形を利用した場合をもいう。
広島県教育委員会の資料には、
『貞丸古墳の北上手約20mの位置に、南面して築かれた円墳で、横穴式石室を内部主体とする。
石室は羨道部が破壊されており、現存の長さ5.1m、幅2.12m、高さ1.97mで、石室の構造・規模・方向など貞丸古墳に共通するところが多い。
内部に組合式家形石棺が安置されていたといわれ、現在貞丸古墳の東にある石碑の台石に家形石棺の蓋が使用され、側石材も大日堂の踏石や墓地に散在する。石棺蓋には、本来六個の縄掛突起を有したものと推定される。
石材は凝灰岩で、竜山石製と考えられる。7世紀前半の古墳と推定される。
なお、貞丸古墳の南西方200mにある南方神社に、家形石棺の蓋石、底石、長側石などが存在するが、その出土地は明らかでない。』と紹介しています。
広島県内最大の石室をもつ梅木平古墳を見学する予定だったのですが、「歴史ロマンの散歩道ほんごう古墳の里」というリーフレットを本郷町生涯学習センターでいただき見ると梅木平古墳のほかにも古墳が点在することを知り、他の古墳も見学することにしたのです。
梅木平古墳、御年代古墳と狭い旧道を西に進み、「史跡 貞丸古墳」と書いた大きな立て看板で場所はすぐわかりました。この貞丸古墳は2基の古墳があります。
  この頁では、貞丸第二号古墳を取り上げましたが、貞丸(1号)古墳のように芸予地震の修復という名目があったにしろ盛土をして修復するのがいいのか、ここ2号古墳のように天井石むき出しのまま放置していくのがいいのか、考えなくてはならないことではないのかと思いながらこの古墳の今をわたしは見学しました。
 16.05.11.裕・記編集

16.05.12.撮影
広島県三原市本郷町南方(字貞丸)

16.05.12.撮影
 (タケノコがそこここに出てきていました)

16.05.12.撮影
(現在の石室入り口)

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
 玄室奥壁をみました

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
 石室側壁をみました

16.05.12.撮影

16.05.12.撮影
石室天井石を内部からみました

16.05.12.撮影
(円墳だった封土が長い年月で流出した?)石室天井石がむき出しになっています 

16.05.12.撮影



「古墳遺跡遺構など」編



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