(JR甲立駅)山陽新幹線開通記念・C58-64動輪

  安芸高田市甲田町高田原のJR甲立駅前に建立されている「(山陽新幹線開通記念)C58-64動輪」です。
表面: 山陽新幹線開通記念  甲立鉄道友の会
側面: 施工 株式会社國原組  昭和49(1974)年6月吉日
        -SLをしのぶ-
この動輪は、皆様にこよなく愛され親しまれて参りましたSLの動輪で、C5864号に使用されていたものです。
直径:152cm、重量:400kgあります。
1948(昭和23)年5月から1970(昭和46)年3月まで、この芸備線において皆様の足として141万粁(キロメートル)[新見〜広島間を約4,260往復]を走り続けました。
蒸気機関車の歴史は、1872(明治5)年新橋の汽笛一声にはじまり、以来100余年わたしたちの足としてはもちろんのこと、文化の交流、産業・経済発展の担い手として、力強く活躍して来ましたが、近代化、エネルギー革新による電化とディゼル化にその任務をゆずり、1974(昭和49)年を最後に国鉄の第一線から去ることになりました。
このたび、山陽新幹線開通*を記念して、甲立ち鉄道友の会有志の協力により、その片鱗をもって永遠にその実績をたたえ、雄姿をしのぶと共に、国鉄をご利用の皆様の安全快適なご旅行を念じて、ここに展示したものです。
※1975(昭和50)年 3月10日:山陽新幹線の岡山駅-(広島駅)-博多駅間が開業しました。
前日(2013年10月19日)鉄道記念日のり放題切符で、三次から帰っている時、この甲立駅で停車した車内から、駅の根際に動輪が展示されているところが見えたのです。三次駅〜甲立駅にある3駅は時刻表をみて待ち時間的な事で次の機会にして、ここ芸備線・JR甲立駅から広島駅までの間の未撮影駅を撮影しようと思ったのです。
展示の動輪は屋根は架かっていますが、横殴りの雨や雪などにはさらされる中、塗装替えなどのメンテナンスがきっちり行われているようで、説明板にある永遠に・・・という言葉が実践されていると思いました。
駅舎と動輪の撮影時間と列車待ち時間を考えて少し時間があるなと、地図をみると甲田図書館があり文化センター ミューズが駅から遠くないとこにありましたので野外彫刻が設置されているかもしれないと思い、立ち寄ってみたのです。そこには、原爆関連の慰霊碑「甲田町(原爆被害者の会建立)・平和の像」が建立されていましたので、別頁で編集しました。
13.11.06.裕・記編集

13.10.20.撮影
広島県安芸高田市甲田町高田原1994      (JR甲立駅のホームからみました)

13.10.20.撮影
山陽新幹線開通記念動輪 と 大正5年10月(?)建立の土地区画整理?の記念碑
耕地整理記念碑?
碑銘から(わたしは)読めなかったのです。甲立駅を造るため土地区画整理を行ったのでしょうから、「耕地整理記念碑」かなと思ったのですが読めなかったのです。
この碑にこだわってみたのは最後に廣島県知事(正四位勲二等)馬淵鋭太郎題(書?)と読めたからなのです。
それは広島県知事の足跡を訪ねているからなのですが、高田郡長従七位上田實(廣?)書の碑文はところどころしか読めなかったので碑自体は撮影しましたが独立した頁編集はあきらめました。

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影



「乗り物」編



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